「江戸組紐」の不易流行
帯に横一筋、きりりと存在感を放つ組紐の帯締めには、結んで飾る役割がある。
その原点は、飛鳥から奈良時代頃に遡さかのぼるだろう。大陸伝来の技術による色彩豊かな組紐が、装いや調度を結び、まとめて、彩るようになったのだ。
武士の時代には、刀剣の下げ緒として重宝される。刀剣は武器であると同時に見事な工芸品。下げ緒も実用と装飾を兼ね備えるものだった。しかし……。
「明治の廃刀令で、行き場を失った組紐は、帯締めや羽織紐、懐中時計の紐などへと用途が変わりました。うちも羽織紐から始まり帯締めをつくるようになります」と話すのは、明治26年創業の「江戸組紐中村正(しょう)」四代目、中村航太さん。幕末頃にお太鼓結びが流行、支える紐として帯締めが登場する。お太鼓を固定することが求められたゆえ、解(ほど)けにくい組紐に目をつけた人がいたのだろう。
武士の世の中心である江戸、またお太鼓結びが亀戸天神の太鼓橋由来ゆえ、組紐の帯締めは江戸発祥だと言われている。「中村正」は手組みを専らとする江戸組紐の製造元で、職人に仕事を差配する役割を担い、近代の和装を支えてきた。
しかし、高度成長期からバブル時代の呉服繁栄期が過ぎると需要が激減、職人も減少した。その状況を間近で見て育った中村さんだったが、不思議と組紐に興味があったという。「高校生の頃から組紐の指導を受けて、組んでいました」
25歳で家業に入ると、組紐職人に仕事を依頼する役目を主としながら、優れた技を持つ下請け職人や従業員を師と仰ぎ、組紐や配色を学んでいった。
「デパートの実演販売や、呉服催事にも参加するようになりました。そこで開眼したのが、帯締めのコーディネートだったんです」。中村さん曰(いわ)く、帯締めのデザインは紐単体として組み方や色使い、柄行きを決めるのが普通だという。
「でも、催事を通して、着物と帯を合わせ、そこに帯締めをのせると装いがぐっと引き立つことを知り、お客様に提案もできるようになったんです」
これにより、多彩な色柄よりも、表現を絞り込み、装いを生かす帯締めをつくろうと考えるようになっていく。
組紐製造の現状は、呉服業界全体と同様、なかなかにハードだ。その中にあって中村さんは健闘を続けている。道具への愛着も深い。たとえば江戸時代に開発されたカラクリ人形の装置にも似た内記台を、廃業した職人から引き取り、「ホームセンターで入手できる部品で工夫しながら修理しました。今や消滅寸前の台なので、僕が使っていこうと思います」。よく使う綾竹(あやたけ)台や丸台にも、同様の工夫を施し組紐の密度を調整しながら、「中村正」らしい組みや柄を考案する。
中村さんの帯締めは、静かな存在感があり、抽象的な色柄で遊び心をのぞかせる。新奇なことはしない。帯を固定しつつ彩る役割に徹し、帯の魅力を引き立てる。その「一筋」に心を注ぐのだ。
文=田中敦子 イラスト=なかむらるみ
たなか・あつこ 手仕事の分野で書き手、伝え手として活躍。工芸展のプロデュースも。この春、突如バレーボール沼にハマる。漫画&アニメの『ハイキュー!!』きっかけで、大学バレー観戦にも。