「真田紐」はヒミツの紐
茶碗や茶入れを納めた桐箱の十字の紐。あれが世に言う真田(さなだ)紐だ。帯締めや羽織紐、草履の鼻緒にも使われる。組紐とよく似た姿なれど技法は別物。実は真田紐、織り機で作られる極細の織物なのだ。
通常の織物より密に張ったタテ糸の色柄を生かし、ヨコ糸を強く打ち込み、平たく織る。主に木綿糸を使い、伸縮せず切れにくいのが特徴だ。現在は機械織りが主流だが、今なお草木染めと手織りを守る工房がある。京都・五条橋近くの「真田紐師江南(えなみ)」。創業は戦国時代に遡のぼり、十五代目の和田伊三男さんと妻の智美さんが、歴史と技術を伝えている。
「日本の紐は主に三種類。古代よりある農耕民発祥の縄、仏教伝来とともに入った宮中主体の組紐、そして中世に誕生した武家と縁深い真田紐です」。甲冑(かっちゅう)や荷紐から始まった真田紐は、資料が限られ不明点も多いが、伊三男さんは家業を継ぐ際に調べ直し、資料をまとめ、推理も加えて、探究を重ねてきた。
真田紐はその名前から真田氏由来と考えられているが、真田氏以前から貿易品の荷紐をヒントに生まれた木綿織物があり、「茶人の千利休は桐箱の紐として見出し、武士の真田昌幸(幸村の父)は、平安時代より組紐を使っていた甲冑に真田紐を取り入れ、戦果を上げました」。それで真田紐に? 「交易品の更紗(さらさ)や香木を束ねた荷紐が、ネパール産のサナール紐。真田に響きが似ていたこともあったのでは」と、意外な国が登場。「忍者が真田紐を即席甲冑にも使ったんです」と、忍びの道具だった歴史にも触れ、用途の幅広さに仰天する。
和田家はそんな時代から真田紐に携わってきたが、長く看板を出さなかった。旅の荷分け紐やたすき紐、役者が衣装を身に着ける際の腰紐にと重宝され、大正時代にはチロリアンテープめいたデザインの真田紐も多く製作しながら、先代までは指物(木工)を表看板に、奥で真田紐を織っていたのだ。
「お茶の三千家や寺社などが使う真田紐には、家ごとに色柄の御約束紐があり、結び方にも決まりがあって、秘伝なのです」。今風に言えば、紐はIDで、結び方はパスワード。そんな秘密がある真田紐ゆえの裏方家業。けれど「約束紐のことを知らない方が増えた昨今、真田紐の文化を伝える使命があると考えました」。
看板を表に出し、講演会で真田紐を語り、ワークショップで技術公開も始めた。和田家では、代々女性が真田紐師、男性が指物師だったが、伊三男さんは真田紐師となった。技術を身につけ、歴史を探りながら、留学で学んだアートを生かし、真田紐の新たな用途の考案にも着手してきた。6年前より、妻の智美さんが染め織りを担い、現在、伊三男さんは紐の加工や伝道に力を注ぐ。
「今なお表に出せない秘伝はある」けれど、近年はカメラのストラップやナンタケット籠の持ち手をオーダーする人も。真田紐の用途は広がり続けている。
文=田中敦子 イラスト=なかむらるみ
たなか・あつこ手仕事の分野で書き手、伝え手として活躍。工芸展のプロデュースも。2022年10月28~30日、横浜・三溪園での「手仕事に遊ぶ錦秋」に、帯留めプロジェクトとして参加。30日には予約制でトークショーも。詳細はこちら