「日本刺繍」の新たな一歩
必要なのは針と糸。最小限の道具で生地を装飾する刺繍の歴史は古く、古代エジプトや中国の遺跡にその痕が残る。
日本には、仏教伝来とともに。繍仏など寺院への奉納布から始まり、平安時代には装束にも。以後、主となり従となって、装いや暮らしを彩ってきた。能装束、打掛、小袖、帯、半衿、袱紗 ……。
戦前の女学校では、日本刺繍を教えていたともいう。なのに今、着物好きな人でも、日本刺繍を身近には感じにくい。 「絹地に絹糸だからだと思うんです」とは、刺繍作家の沖 文(おき ふみ)さん。 「手のひらで糸を撚るのも最初は難しいですし」。 文机ほどの高さの台に生地を張り、針を垂直に上下させる独特な仕事姿や、100以上ある繍ぬい技法を知れば、なおさらだ。
沖さんは、七五三の晴れ着に魅せられて、着物の職人になりたい! と胸をときめかせた。そして、迷うことなく美大で刺繍を専攻、卒業後は、志願して江戸刺繍の名匠・竹内政治氏に学んだ。「約4年通いました。最後は帯で、1カ月夢中で仕上げましたが、先生に、上手くなったね、と褒めていただけました」
独立後は個展やグループ展で作品を発表、若き日本刺繍の担い手として注目もされて、2007年には手芸系の書籍を上梓。日本刺繍に親しめるよう、すでに撚りのかかった木綿糸を使い、3つの技法でできる新しい発想の入門書で、木綿糸を使うのは編集者からの提案だった。
「面白いなと思いました。でも、私にとって日本刺繍はやはり絹。だから〝和の刺しゅう〞という言葉を入れました」
当時20代だった沖さんと、木綿糸のかわいい日本刺繍の取り合わせはぴたりとはまり、沖さんから刺繍を習いたい人が次々と。以来、結婚、子育てと多忙な季節を過ごしながら、教室や刺繍キットの監修など、たゆまず日本刺繍の裾野を広げてきた。「日本刺繍の入り口になれればと、そんな思いでやってきました」
教室にある刺繍台は、椅子式の現代仕様だ。小ぶりな木枠を使うこともできる。習う人の技量や個性に合わせて、基本的な技法を伝えていく。生地を選び、見本を選び、糸色を選ぶ。ここでの糸は絹糸で、400色揃っている。
カリキュラムはなく、一人一人刺したいものに取り組むスタイル。時には「ご自身の振袖を孫にと、刺繍を足して華やかにするため通う人もいます」。
コロナ禍では、オンラインによるマンツーマン指導を始めた。「画像は、肉眼より刺し目がはっきりわかって、教えやすいことに気づきました」
文=田中敦子 イラスト=なかむらるみ
たなか・あつこ 手仕事の分野で書き手、伝え手として活躍。工芸展のプロデュースも。2024年1月10日(水)~15日(月)開催の日本橋髙島屋「七緒の和トセトラ」に参加します。詳しくはP.112に。遊びにいらしてくださいね。