博多織の大きな決心
藍のゆかたに献上博多の帯。江戸の粋を今に伝えるザ・ゆかたスタイルだが、博多帯は着物にだってOKな頼もしき存在。
博多帯を代表とする博多織は、中国・宋時代の唐織をヒントに生まれた。献上とは、江戸時代に福岡藩主が、徳川幕府への献上品として博多織を選んだゆえで、献上品の織り柄は、密教法具の独鈷や、供養の散華に用いる華皿に、線の太さを親子に見立てた子こ持縞が添えられる。
一度締めたら弛ゆるまない博多帯は、刀を差すのに具合がよくて、まずは武士に好まれた。江戸後期には、歌舞伎役者が舞台で締めて大流行。男女を問わず博多帯は町人の間に広まっていった。
当時の博多帯は、機の上で人が操作する大掛かりな機で織られていたが、明治になると、人の代わりに紋紙(パンチングカード)によりタテ糸の上げ下げを指令するフランス生まれのジャカード機が導入されて、効率も生産力も高まった。手織りから始まり、やがて自動織機が開発される。戦後の高度成長期、博多帯が老若男女に広がったのは、ひとえに織機のおかげなのだ。
その一方で手織りの博多帯も生きながらえてきた。女性の八寸帯の場合、7000本以上のタテ糸に、細糸を何本も束ねた太いヨコ糸を、「打ち返し、三つ打ち」と呼ばれる博多織ならではの入念な打ち込みで密に織り、丈夫でしなやかに仕上げる。打ち込みに力がいるため、長らく男仕事とされていたのだが、近年は女性が主戦力となりつつある。
きっかけは2006年に設立された博多織デベロップメントカレッジ。減少してゆく手織り職人の育成と新しい博多織の創造を目指して生まれた学校で、受験者の多くが女性だったのだ。 2020年、卒業生から初の伝統工芸士が2人誕生。その一人、岡部由紀子さんをお訪ねし、自宅の一室を覗いて驚いた。高さ3・1メートル、奥行き3・2メートルのジャカード機!「一大決心でしたけど、博多織を続けるにはジャカード機を持つ選択肢しかないので(笑)」
子育てが一段落した40歳間近で博多織に挑戦した岡部さんが機を持つことは、退路を断った博多織人生の決意表明。伝統工芸士の試験資格である12年のキャリアをクリアした昨年、初挑戦しての合格だった。「伝統工芸士は目標のひとつでしたけれど、日頃接する伝統工芸士の方は70代以上がほとんど。自分などまだまだと悩みましたが、逆に励まされて」
現在、岡部さんは変わり献上と創作柄の八寸帯を中心に制作。「博多織は、タテ糸だけが表に出る織物で、その制約の中での表現が私には面白いんです」 機は小柄な岡部さん用にカスタマイズされ、打ち込みの力は錘などで補う。
そうなのだ、ジェンダーフリーは工夫次第。博多織の未来、きっと明るい。
たなか・あつこ 手仕事の分野で 書き手、伝え手として活躍。著書多 数、工芸展のプロデュースも。この ところ帯芯が悩みの種。夏帯の芯 地の色、厚手帯地の場合の薄さ加 減。お任せしてはならじ、と反省。