「伸子」のしなやかさ
伸子。「のぶこ」ではなく、「しんし」と読む。反物の織り地を整え、布幅を一 定に保つ道具の名前だ。伸子針とも呼ばれ、見た目は細い竹ひごだが、両端に細い針がある。着物を解いて反物に戻し洗濯する〝洗い張り〞の乾燥仕上げや、友禅染や色無地の刷毛(はけ)による地色染めなどは、伸子なしにはできない。
生地1反に使われる伸子は約200本。長々と張られた反物の裏に弓なりの竹ひごが並ぶ伸子張りは、もはや洗い張り屋さんか、着物や風呂敷などを染める工房くらいでしか見ることはないが、戦前は一般家庭でも着物洗いの必需品で、庭先での作業は日常風景だった。「しんし」には、籡という見慣れない漢字も当てられる。和製漢字で、伸子が日本独特の道具であろうと想像できる。しかも歴史がかなり古い。平安時代の文献や絵巻物にも残っていて、今とほとんど変わらぬ作業風景に、ちょっと驚く。
洗い張りには、張り板を使う板張りという方法もあるが、こちらは江戸後期と新しい。伸子は主に絹物用、張り板は木綿用で、木綿が庶民に普及した江戸時代の発案品なのだ。
さて、そんな歴史ある伸子の製造で栄えた土地がある。奈良県生駒市にある高山町だ。室町時代に遡る茶筅(ちゃせん)づくりがベースにあり、近代には、地元の竹材を使った伸子、編み針で発展した。「うちは大正6(1917)年創業ですが、その頃から高山で伸子がつくられるようになりました」とは、「竹とガラスの夢の森工房」の谷村喜英さん。平安以来竹ひごの先端を二股に削っていた爪を針金に替えた、画期的な改良伸子が高山で生まれたことも大きかった。さらに竹ひごを削る機械や針を植え込む機械の開発で、伸子の一大産地となったのだ。が、「戦後の着物離れの中で、伸子から編み針に移っていきました」。
谷村さんは、今から40年ほど前、伸子需要の大激減期に三代目として家業に入 った。伸子製造に見切りを付けようとしていた先代を、「伝統工芸の着物を支える道具だから」と説得。以来、伸子を製造し続け、染め工場や作家からの様々な要望にきめ細かに応えてきた。
けれど問題は山積み。地元に竹はあれど使えない。竹林の手入れや伐採ができる職人が絶えてしまったのだ。
つくる職人も高齢化で数少なくなった。谷村さんは、近くは丹波、丹後地方、遠くは大分、熊本から、伸子向きの硬くて粘りある孟宗竹(もうそうちく)や真竹を集め、国産材を確保。また、伸子づくりの全工程を体得した上で、竹箸、玉すだれ、おみくじの棒、占いの筮竹(ぜいちく) など、伸子を応用した竹製品の注文にも柔軟に対応している。併設のガラス工房で収益を保ち、また、畑 仕事にも本腰を入れて楽しみながら、そう、竹のように粘り強くしなやかに、伸子づくりを続けている。「兼業だからできたんでしょうね。機械は揃っているし、なんとか未来につなげたいです」
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はみだしペディア 「竹とガラスの夢の森工房」では、染織や洗い張りをしたい一般の人に向けても伸子を販売。 http://www.yumenomori.co.jp/sinsibari/ichiran.html
文=田中敦子 イラスト=なかむらるみ
たなか・あつこ 手仕事の分野で 書き手、伝え手として活躍。著書多 数、工芸展のプロデュースも。2020 年1月9日(木)~13日(月)に東京・ 松屋銀座で開催される『七緒』の 「初支度」では、垂涎ものの染め織り で仕立てた数寄屋袋を販売する限 定ショップ「襷 TASUKI」を出店予定。