染め織りペディア5

杼(ひ)がつなぐもの

 隙間なくタテ糸を張った織り機にヨコ糸を渡し、糸は布になっていく。杼とは、ヨコ糸をタテ糸の間に なめらかに運ぶための渡し船。英語だとシャトル。ヨコ糸を左右に何度も往復させる道具は、スペースシャトルやシャトルバスなど、ピストン運行する乗り物の名の語源でもある。

  機いらずの原始的な織りでは、ヨコ糸は糸巻きのまま通していた。織り機が登場すると、糸巻きは木枠に組み込まれて杼となり、よりなめらかに織り進められるよう工夫が加えられる。杼は手の延長だ。より速く、より美しい織りを願い、糸の素材や織りの密度、模様に寄り添って、形やサイズが増えていった。

 この杼の専門工房が、かつて10軒ほどあったという京都の西陣。高級織物の産地として、江戸時代にその名を高めた西陣は、明治になるといち早くジャカード機を導入。上質な織物を着実に量産するため、徹底的な分業を推し進めた。道具の職人も分業の構成メンバー。今も西陣織は高級帯の代名詞だが、町に響いた機音は、もうあまり聞こえない。

 そんな西陣に、ただ1軒残る杼の専門工房が「長谷川杼製作所」だ。地元では杼屋、ひいや、と和らいだ響きで呼ばれる。三代目の長谷川淳一さんは杼一筋に生きてきた。御年85歳。虫籠窓(むしこまど)から様子が覗(のぞ)ける、京の町家が仕事場だ。

 細く繊細な絹糸で織られる西陣織ゆえ、杼にも糸に負担をかけないつくりが求められた。かつては「昼夜休むことなく仕事してました」という忙しさの中で、腕を上げた長谷川さんは、今では日本のみならず海外からも頼られて、誂(あつら)えの杼をつくる。材は、祇園(ぎおん)祭の山鉾(やまほこ)の車輪にも使われる宮崎産の赤樫(あかがし)。硬くて粘りがあり、杼に最も適している。20年ほど寝かせてからコツコツと工程を重ねて製造、和蝋(わろう)の特製油で磨いたら(これは富久子さんの仕事)、使いよくてタテ糸に優しい杼の完成だ。糸を通す糸口には清水焼の輪をはめるという。

 しかし、長谷川さんは唯一の杼職人で高齢でもある。先々を心配し、最新技術にSOSを送る西陣織職人が現れた。請け負ったのは、3 D技術でものづくりをサポートする会社「YOKOITO」の技術アドバイザー、足立正さん。未知の世界ながら、使い手の話を聞き、試作を重ねた末に、足立さんは3 Dプリンターによる杼を完成させた。苦心した重さやなめらかさ、角度などは、長谷川さんが工夫を重ねてきた勘どころだ。

 「長谷川さんの仕事は素晴らしく、真似できるものではありません。あくまで駆け込み寺として対応しました」

  それでも、道具の伝承が心配される伝統工芸を最新技術で支えられたなら、と足立さんは使い手と真摯(しんし)に向き合う。

  今は途上でも、3 Dプリンターの性能は日進月歩。手工芸を支える道具界の新キャラを、戸惑いつつ見守ってゆこう。

 ----------------------------------------------------------------------------------

はみだしペディア  「長谷川杼製作所」では少人数の見学も受け付けています。  

文=田中敦子 イラスト=なかむらるみ

たなか・あつこ  手仕事の分野で書き手、伝え手として活躍。著書多数、工芸展のプロデュースも。4年前に立ち上げた帯留めプロジェクトの第3期が始動。2019年に表参道のギャラリーにてお目見え予定。

 

 

Vol.55はこちら