日本茜(あかね)が景色を変える?
着物を着るようになって知る、和の色名。時に古なじみの色もあって、ちょっとうれしい。茜色もそんな色名のひとつだ。
『万葉集』などの古歌、童謡、そして、ユーミンやいきものがかりの歌の歌詞にも登場するメジャーな和色は、晴れ渡った日に太陽が光り輝いているような赤系の色のこと。この色を染めるために使われる植物が茜で、そのまま色の名前にスライドしている。
私たちの着ているものは、今や合成染料のものがほとんどだけれど、19世紀に合成染料が発明される以前、布は、草や樹木に潜む天然の色素で染めるものだった。花や葉っぱ、樹皮、実。茜は根っこ。それゆえ、古い文書では赤根という表記も見られる。
地球レベルで茜を見渡すと、大きく4種類に分類されて、各地で古くから使われてきた。インド茜、六葉茜(西洋茜)、ヤエヤマアオキ、日本茜。日本ではもちろん日本茜で、すでに卑弥呼(ひみこ)の時代、赤を染める植物だった。
ただ日本茜できれいな赤を染めるには少々技が必要なため、効率よく赤染めできる紅花や蘇芳(すおう)に栄誉ある赤の座を奪われて、パタリと技法が途絶えた時期もあり、江戸時代になって、八代将軍・徳川吉宗が日本茜を使った染めを復活させている。現在は国宝の赤糸威鎧(あかいとおどしのよろい。武蔵御嶽神社蔵)を上覧し、日本茜で染めた組紐の鮮やかで堅牢(けんろう)な赤に着目したのだ。
今も、草木染めで染め織りする人たちが茜の赤を愛(いと) しんで使ってはいるものの、ほぼ色名だけが親しまれ、日本茜が野山に自生する植物で、ハート形の葉っぱが可憐かれんで、しかも根っこが真っ赤だなんて、まず知らない。
ところがどっこい、日本茜の栽培で田園風景を再生しつつ、その根を農産物として売り出し、新しいモノづくりを実現する! という壮大な計画を進める人がいた。テキスタイル会社の社員だった杉本一郎さんは、部署立て直し請負人として獅子(しし)奮迅後に早期退職。第二の人生を探す最中、日本茜と出合った。
「河川敷を歩いていたら、日本茜が生えているのを見つけて、それが始まりですね」
テキスタイル会社出身だから日本茜が古代染料だということは知っていた。6年前に戻った大阪・忠岡の実家を活用し、庭の片隅で日本茜の根を育て、染めてみて、ふと思う。「藍がジャパンブルーなら、日本茜はジャパンレッドやないかい」と。
すぐさま杉本さんは日本茜の栽培実験を本格化。難しいとされてきた茜染めの染色技法を研究し、データを着々と揃え始める。さらに様々なつくり手との試作に挑戦。社員時代から人と繋(つな) がる仕組みづくりが得意で、しかも忠岡は毛布産業で栄えた町。モノづくりの人材に事欠かない。さらに SNSの発信で、日本茜に興味を持つ人たちと繋がってきた。2年前には京都・美山の「美し山の草木舎」メンバーとの連携が生まれ、休耕田に日本茜の苗を提供。昨年は、3500㎡に1万株を植えたのだそう。なんという実現力。
日本が誇る企業戦士は、第二の人生でもフルアクセル。日本茜という古き染料植物が、もしかしたら日本の未来を変える? そう想像すると、うふふ、と思わず笑顔になる。
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文=田中敦子 イラスト=なかむらるみ
たなか・あつこ 手仕事の分野で書き手、伝え手として活躍。著著多数、工芸展のプロデュースも。京都好きで、京都に通ってン十年。2018年7月には銀座三越で京都モノを紹介するプロデュース展も開催した。