辛酸なめ子の着物のけはひ 『白百合の崖』津村節子

『白百合の崖』津村節子

日本の歴史に名前を残した与謝野晶子。彼女と共に名花二輪と称された山川登美子という才媛がいたことは、そんなに知られていないかもしれません。『白百合の崖(きし)』は、明治の歌壇で活躍した登美子が主人公の小説。上級武士の家柄で銀行頭取の厳しい父、貞蔵に意に沿わない結婚を強いられた登美子は、密(ひそ)かに歌を作ることが生きがいでした。歌の仲間、晶子と一緒に思い出作りの旅に出ます。でも、ただの女子旅ではなく2人が慕うカリスマ歌人、与謝野鉄幹と一緒でした。妻子ある鉄幹は機関誌『明星』に2人の女弟子への恋の歌を発表。美青年だったそうですが、いつの時代も文化人男子には要注意です。

晶子は登美子の才能と美しさに嫉妬して「君が才をあまり妬(ねた)し……」と歌に詠んだほどでしたが、2人は姉妹のような友情を育んでいました。登美子は晶子を「お姉さま」と慕って、旅先では仲良く一つ床で寝ていたのが、朝になったら傍らに晶子の姿はなく……。鉄幹の部屋に行っていた晶子。あやしいです。

封建的な家に嫁入りしたら、恋も歌もあきらめることになると悲観的な登美子。『明星』には登美子や晶子が鉄幹への思いを綴(つづ)った歌がたびたび掲載。編集人で発行人の滝野は鉄幹の妻で、かなりスキャンダラスです。

ついに登美子は父が決めた男性と結婚。紋付の友禅裾模様に錦の丸帯姿の登美子はとても美しかったのですが、心はうつろでした。結婚後のある日、『明星』に掲載された晶子の歌を見て、鉄幹と晶子が肉体的に結ばれたことを直感。有名な「みだれ髪を京の島田にかへし朝……」という事後をほのめかす歌で、登美子や滝野へのマウントのようです。『明星』界隈(かいわい)のゴシップを掲載した小冊子まで出て、鉄幹の女性関係が噂(うわさ)の的に。鉄幹の評判が悪くなったことで、滝野は実家に帰郷を促され、別れる決心をしました。滝野を見送った鉄幹は「髪一つ乱さぬ君にわが手もてかざさむ花もあらぬわかれよ」と未練をにじませます。晶子の情熱的な「みだれ髪」に対し、冷静な妻を「髪一つ乱さぬ」と表現。鉄幹はかつて晶子に「乱れ髪の君」と呼びかけた歌も贈っています。その歌からタイトルを取った晶子の歌集『みだれ髪』が発行されると、世間で話題に。晶子は自分の髪に自信を持っていたようで、黒髪の美しさを歌った自己愛を感じさせる歌も収録。今でいうSNSの映えを、31文字で表現しています。

晶子はすべてを手に入れましたが、登美子は結核の夫を献身的に看病する日々。夫が旅立った後は自身の体調も悪化。東京で女子大に入り人生の再スタートというところで入院します。お見舞いの人に対して「乱れた髪をかき上げ」お礼を言う淑女の登美子。晶子の「みだれ髪」も官能的ですが、登美子が乱れた髪を直す姿には育ちの良さが漂います。鉄幹が見舞いに訪れた時は急いで髪を梳(す)き、口紅をさした姿には、いじらしい女心が見てとれます。奥ゆかしく献身的に生き、美しいまま亡くなった登美子は、どこか聖女のようで、煩悩と本能に生きた晶子とは対照的。「白百合」という呼び名そのものです。

しんさん・なめこ 東京生まれ、埼玉育ち。漫画家、コラムニスト。 武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。『江戸時代 女の一生』(三樹書房)ほか著書多数。なめ子さんの20歳の思い出は、メイクとの出会い。「初めてファンデーションを塗ったのが確か20歳でした。今思うと塗る必要なかった気がします。もちろん30年後の今はファンデなしでは表に出られません」

文、イラスト=辛酸なめ子 撮影=中林正二郎(snow) 選=澁谷麻美(BIRD LABEL)

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