『生々流転』 岡本かの子
芸者の見習いだった母と、物乞い出身で大学教授まで上り詰めた父の間に生まれた蝶子の、数奇な半生を描いた小説。
蝶子は自分の血統を憂えながらも、鋭い感受性で周りの人を観察しています。父の本邸に招かれると、本邸の正妻は、着物をつまんで「指先の早業で下着の裏や襦袢(じゅばん)の地質」をチェック。「ほんとによいおべべ」と、合格判定されますが、ぎこちない蝶子。笑っているように見えて冷酷に観察している正妻の眼(め)に気付かされ、食事すると「お里を出すね」などと辱(はずかし)められ、最終的には泣いて家に帰りたいと訴えます。これで、裕福な本邸に引き取られる、という道は閉ざされました。
蝶子は金運とは縁がないようで、母に資産家の息子、池上とくっつけられそうになりますが、そんなにうまくことは運びません(序盤で資産家の妻におさまったらこんな読み応えのある小説にはならないです)。私立の学校に通っていた蝶子は、女体育教師の安宅と学園の園芸手、葛岡との謎の三角関係に巻き込まれます。安宅先生は年齢差がある年下の葛岡と清い交際を続けています。ある時、安宅先生は葛岡が蝶子に惹(ひ)かれているのに気付き、自分と結婚するか、蝶子を思い切るか決断を迫ります。どちらにせよ蝶子をあきらめさせようとしているような……。そういう安宅先生も蝶子に憧れ、愛情を抱いているという複雑な関係。葛岡は蝶子のことを「蝕(むしば)まれた莟(つぼみ)の女」「わくら葉の新緑のような娘」と表現し、いっぽう池上は「土の精気を一ぱいいのちに吸い込ましている原始人のような逞(たくま)しい女」と評価。例えがわかりにくいですが、「土」という言葉で、蝶子は自分の物乞いの出自が思い起こされ、投げやりな気持ちに……。
蝶子は束縛が厳しい池上の所有する寮に住み、このまま本妻におさまりそうでしたが、葛岡から安宅先生が赤城の実家に帰ったまま戻ってこないと聞かされ、彼と一緒に先生を探す旅に出ます。同じ部屋に泊まった夜は、葛岡は2人の間に白いバンドを置き、境界線とします。禁欲的な先生に教わった手法とのこと。蝶子は、逆にそのバンドが、わざとらしく「淫(みだら)がましいもの」に感じられました。葛岡は、禁欲を貫きながらも寝ている蝶子の顔をスケッチしていて、かなりこじらせています。まともな男性が出てこない小説です。
安宅先生をついに探し当てると、山の中で「死」についての書をしたためていました。クセの強い登場人物ばかりです。先生は極寒の湖で裸体になり、そのまま失踪してしまいます。呆然(ぼうぜん)と見守る蝶子と葛岡。
その後、諸行無常を感じた蝶子は父と同じく物乞い生活を体験。喋(しゃべ)れないフリをして「あーあ」などと言っていたら、材木店のご新造さんに久留米(くるめ)の紺絣(こんがすり)を恵んでもらったり、夫婦の物乞いの妻とのバトルがあったり、濃い日々を送ります。物乞いの演技がバレたあとも、男に頼らず、気の赴くまま生きていく蝶子。男たちは豊かさと引き換えに、彼女の命を物乞いのように欲し、吸い取ろうとしていたのかもしれません。経済的な豊かさよりも、生命力が大切だと気付かされました。
しんさん・なめこ 東京生まれ、埼玉育ち。漫画家、コラムニスト。『大人のマナー術』(光文社新書)ほか著書多数。なめ子さんが生命力アップのために心がけているのは、会って疲れるエナジーバンパイア的な人とは距離を置くこと、だそうです。
文、イラスト=辛酸なめ子 撮影=中林正二郎(snow) 選=澁谷麻美(BIRD LABEL)