『冬の椿つばき』 芝木好子
運命に翻弄された芸術系男女の恋を描いた物語。笹田香澄は、絵画研究所仲間の伊吹慎一に惹かれていました。家族に仲を反対され、香澄は母と鎌倉に引っ越して距離ができてしまったけれど、お互い好意を持っていた2人。鎌倉では香澄は隣家の富裕層の母と息子に気に入られ、交流するように。息子の青年実業家、瀬木竜彦は美しい香澄にロックオン。ある時、香澄が鎌倉に画学生仲間の伊吹と、華やかで魅力的な森洋子を呼んで、瀬木と4人で鎌倉散歩。将来修羅場になるとは誰も想像もしていませんでした。
ほしいものは何でも手に入れる瀬木は、香澄の心がまだ伊吹にあることを知りながら、力ずくでくちづけや抱擁をして、結婚を迫ります。「底にねっとりしたものがある」と瀬木の粘着ぶりに怯おびえながらも、母の病気や伊吹の出征で心細くなっていた香澄は、ついに求婚を受け入れます。読者としては、社長で育ちの良い瀬木と結ばれて良かった、と安堵 しそうになりますが、節操のない瀬木はなんと香澄の友人の洋子と、香澄との結婚前に関係を持ってしまいます。婚礼の日、正妻になれなかった洋子は、四君子模様の振袖と鳳凰の舞う帯をまとった美しい香澄に、安否不明の伊吹の名を囁くという嫌がらせ行為に……。 香澄ばかり大事にされ、自分が性のはけ口になっているのを感じながら、瀬木との「夜の享楽」に溺おぼれていく洋子。瀬木は会社が傾いた時は洋子の商才に頼り、子どもができたら中絶させるなど、かなり非道な振る舞いです。洋子は香澄への憎しみを募らせ、ヒール感を増していきます。瀬木の執念深いキャラもエスカレートして、逃げたい香澄に「遠くといっても地球の中だろう、探すのも情熱が湧くからな」と、怖すぎるセリフも。
一方、香澄と伊吹の芸術家同士の恋は純愛のように描かれていますが、自然な流れで不倫関係に。香澄は、鎌倉の茶室を仕事場にすることを伊吹に提案し、会いに行ける距離になりました。さらに信州に逃避行し、2人で創作活動しながら愛を深めます。香澄の革染めを手伝い、精神的に弱っている時は支える献身的な伊吹。しかし2回も香澄の裏切り的な行為が……。出征から戻ったら香澄は結婚していたというのが1回目で、2回目は一緒にフランスに留学に行くと約束した香澄が結局来なくて、出産して瀬木との生活を続けた件。帰国して7年ぶりに香澄と再会したら目の前で洋子とモメていて、7年間の時の流れを感じさせず、一瞬で昔の人間関係に引き戻された伊吹。フランスで同棲していた品子も登場しますが、香澄が現れて、あえなく一瞬で敗退……。芸術家の男性は、より美しい女性に惹かれる性があるのでしょうか。
香澄と伊吹は、お互い離ればなれで辛い時期があったからこそ、芸術に打ち込んで2人とも世間に評価されるまでになりました。修羅場も芸術の肥やしになり、瀬木も洋子も踏み台に……。芸術家カップルの幸せのため、悪役を演じていたとも言える2人への好感度が高まり、ドロドロした人間関係を描いているのに、不思議にさわやかな読後感でした。
しんさん・なめこ東京生まれ、埼玉育ち。漫画家、コラムニスト。結婚式には、時にスリリングな瞬間が訪れるもの。「友人の結婚披露宴で、新婦の兄がスピーチで突然、妹が幼少期に万引きしたエピソードを話しだし、気まずい空気に包まれたのが忘れられません」
文、イラスト=辛酸なめ子 撮影=中林正二郎(snow) 選=澁谷麻美(BIRD LABEL)