『新装版 京まんだら』 瀬戸内寂聴
祇園のお茶屋「竹乃家」を舞台に、そこに集う男女の恋模様を曼荼羅のように描いた長 編小説。京都の四季の風景や、都をどり、葵祭などの華やかさが、秘められた恋や辛い恋に身を投じる男女を彩ります。色恋を極め、祇園に通って芸妓との交流を深めた瀬戸内寂聴先生にしか書けない名作です。
「形式美から入っていって、それはいつのまにか心にまで通じてしまう。虚構と真実の間に美しい虹がかけわたされ、遊びはその虹の色の中で美しく花ひらく」
季節の行事やしきたりを大切にしている祇園の世界観を見事に表現する素晴らしい一文です。舞妓さんの花かんざしは月ごとに季節のデザインが定められていたり、願掛けの「無言まいり」の習慣があったり、黒紋付でお世話になった人を訪ねる「八朔の挨拶廻り」が行われていたり、形式美が息づいています。そんなハードルの高い世界に、14歳からお茶屋に奉公して自分の店を持つまでになった雪村芙佐。「竹乃家」の女将として、芸妓や文化人から慕われます。芸妓と旦那との仲をとりもったり、浮気や別れ話の後始末をしたり、女将として采配を振ってきた芙佐。彼女にも激しい恋の思い出がありました。昔の恋人、甘粕大尉からの恋文を白絹に包んで帯板がわりに胸に抱いている純情な一面も。最初の夫、武井と別れてから宮口と逢瀬を重ね、心と体のすきまに忍び込んできた劇作家の洋平とも灼熱の恋を体験。色町で遊び慣れた洋平は、着物を脱がし、帯をとき、畳む一手つきに「もうすでにどれだけ、女たちに、着物や帯を買ってやり、それをといてきたか」が表れていました。洋平が肺炎で入院中、芙佐は黒紋付に佐賀錦の帯で見舞い、着物姿で裾を開いた体位「孔雀」で合体したことも。戸惑う芙佐に「孔雀になればいい」と提案する洋平、かなりの遊び人です。しかし次第に洋平から距離を置かれ、失恋したと悟って鴨川の河原で泣く芙佐。直後に宮口が肝炎で倒れ、罰が当ったと反省し、観音様に懺ざん悔げ 。宮口を見舞い、愛の行為で心の穴が埋まったようです。何年も経たってから、芙佐は「別れ上手という言葉は、洋平のような男をさすのであろう」と懐かしく思い出すのでした。
女たちの恋物語の合間に、花街のしきたりなども書かれていて、興味津々です。舞妓が芸妓になる時には「衿替え」といって衿が赤から白になり、衿替え間近になると「さっこう」という髷に結う風習や、毎月のお手当の目安。「芸妓は旦那を持ち、役者買いや、やくざの情夫を持って」性の快楽を味わって一人前、という言い伝え。でも「旦那からしぼ って、いろに貢ぐ」のはさすがにNGだそう。「へえ、おおきに」というのは「ノーサンキュー」という意味で客は察しなければならない、札束を持ってきても一見の客は入れない、など。やはり敷居が高く、美術館の曼荼羅のように仰ぎ見たい世界です。でも、この小説で京都弁が移りそうになるほど、祇園を疑似体験できました。瀬戸内寂聴は秘密の恋や煩悩を書ききったことで、出家という新たなステージに到いたったのかもしれません
しんさん・なめこ 東京生まれ、埼玉育ち。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科卒業。瀬戸内寂聴先生に『婦人画報』でインタビューした際、EXILEのアツシ(ATSUSHI)のことを「ヤスシ」と言っていました。先生がそうおっしゃるのならヤスシに改名した方がいいとすら思えました。