辛酸なめ子の着物のけはひ 『隅田川暮色』芝木好子

『隅田川暮色』 芝木好子

「私の子供のころは喘ぜん息そくで、つらくて」「あの時分、冴さえ子こさんを一目見ると喘息の具合が分った」。浅草の呉服問屋の娘、冴子が、幼なじみの藍染め職人の息子、俊男と十五、六年ぶりに再会し、隅田川沿いを歩く場面から始まります。言動に冴子を思いやる俊男の優しさが表れていて、湿度の高さから2人の親密さが窺うかがえます。俊男の父、元吉とも会い、空襲で亡くなった父、千明を思う冴子。故郷の浅草に惹ひかれながらも、冴子はこの15年、妻子持ちの大学助教授、悠とひっそり暮らしていました。悠の実家は、湯島の組紐の大おお店だな「香月」。冴子は組紐の作業を時々手伝いながら、口の悪い悠の祖母、加津に嫌味を言われたり、旧家の空気に気疲れする毎日でした。加津は「薄茶の良い色合の小千谷縮」をさっぱりと着たり、着物のセンスが良く、87歳になっても現役感のある手て 強ごわいキャラです

 ある時、「香月」に平家納経に使われていた「厳いつく島しま組紐」の復元の依頼が。冴子の感性を買っていた「香月」の主人、真造は彼女を復元のメンバーに加え、孫の響一、藍染め職人の俊男も手伝うことになります。当時、組紐の市場規模はどのくらいだったのでしょう……。「代々紐を業としてきた者にとって、名品の古紐の復元は本懐」だそうで小説の中ではシュールで熱い紐談議が展開。中尊寺金色堂に眠る藤原秀ひで衡ひらの遺体に思いを馳はせた真造は「どんな紐を掛けているか、想像出来ますか」と問いかけ「肉体はミイラになっても、紐は鮮やかでしょうか」と冴子が答えるという紐問答が。冴子は、根を詰めて古紐の再現作業に励み、複雑な菱ひし形の交こう叉さが再現できないことに悩んで痩せたほど。「紐が崩れかけて息絶え絶えなのに、褪あせた色になんともいえず色香があって、凄すごいの」と、古紐が生きているかのように語ったりして、紐にハマっていきます。「紐の可能性は、私には生きてゆく可能性と合わさるのよ」と、共同作業する響一に語る冴子。組紐の高台を改良したら再現の可能性が開けて「ああ紐に表情が出てる」と、響一と喜びを分かち合います。しかしその時に不穏な予感が……。

 ある日、悠の娘、ひろみが家に突然訪ねてきて、悠と妻が会っていることを知り、ショックを受けた冴子。裁ちバサミで紐を切り裂き、引きちぎります。「なにかが崩れおちてしまった」冴子は家出して、俊男に頼ったり、奈良をさまよいながら、脳内で亡き父と会話。その後大磯の弟の家に身を寄せて、熱を出して臥ふせってしまいます。悠が連れ戻しにきただけでなく、響一や俊男も訪ねてきて、それぞれ冴子と一緒に暮らしたいようなことをほのめかします。一緒に組紐の作業をすることで男たちを運命の紐でからめ取ってしまったかのよう……。組紐には縁結び効果がありそうです。全ての紐を切らず、厳島の組紐を保管していた冴子が、また「香月」に戻ることになったのも紐の力かもしれません。悠が西ドイツ交換留学に冴子を同伴したいと言ってきたり、実は皆に思われていた冴子。古紐のように切れかけた関係も、丁寧に組み上げることでまた再現できるのでしょうか……

しんさん・なめこ 東京都生まれ、埼玉県育ち。漫 画家、コラムニスト。武蔵野美術大学短期大学部 デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。近著に『愛すべき音大生の生態』(PHP研究所)、『女子校 礼讃』(中央公論新社)など。Twitterでnameko@ godblessnamekoもチェック!

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