『桜の森の満開の下』坂口安吾
お花見の季節、もしかしたら人はこの世のものとは思えない桜の美しさに恐怖を感じ、それをごまかすために飲んで騒いでいるのかもしれません。この小説に出てくる残忍な山賊も、桜の森に行くと恐怖にかられ、気が変になりかけるのでした。
そんな山賊以上に恐ろしい存在が、あるひとりの女でした。いつものように旅人の身ぐるみをはがし、女をさらっていた山賊。8人目の女があまりにも美しいので亭主を斬り殺し、女をさらって女房にします。女は亭主が殺されたというのに平静で、男におぶわれ険しい山を進んで山賊の家へ。現実主義の女は、亭主よりも山賊のほうに経済力や生存能力を感じたのかもしれません。家には山賊の7人の女房がいましたが、女は、足が不自由で醜い女をのぞいて全員斬り殺させます。山賊は、女の美しさに満開の桜と似た不穏さを感じながらも、わがままな女の言いなりに……。
山賊が山を走り回って狩ってきた鹿や猪などのジビエ料理には満足せず、都に劣らぬおいしいものが食べたいと要求。山賊は都からの旅人を殺し、豪華な所持品を女に与えます。女は「まるで着物が女のいのちであるように」着物や紐、飾りなどを大事にしていました。山賊は「個としては意味をもたない不完全かつ不可解な断片が集まることによって一つの物を完成する」魔術のような美しさに感動。たしかに着付け小物一つ一つは素人には不可解ですが、着ると全て必要なパーツだと体感できます。山賊の感性の豊かさと残忍さのギャップが魅力的に思えてきます。
女は着物や宝石や装身具だけならまだしも、殺された人の首を欲しがりました。山から都 に引っ越すと、山賊は都の邸宅に押し入り、物品のついでに首も収集。女は部屋に首を並べてお人形ごっこのように「首遊び」するのでした。生首が腐って白骨になるに任せながらも、首同士遊んだり恋をしたり犯したり、澄んだ笑い声をあげながら楽しそうに興じる女。高貴な美しい娘の首をかわいがっていたのに、最終的には針でつついて穴をあけ、小刀で切ったり、目も当てられない首に……。エグい描写が続きます。なぜ女は殺された首を二度殺したのでしょう。美しい着物や装飾品を集めても心は満たされず、自分の幸せを実感するためには、さらに他の人を不幸にしなければ気がすまなかったようです。現代のようにSNSがあればすぐに自慢できますが、当時、女が手っ取り早く優越感に浸るには「首遊び」が必須だったのです。着物や装飾品を集めても、また欲しくなるので欲望は決して満たされない……。この物語は寓話で女は「欲望」の化身だったのかもしれません。最後、男におぶわれて紫の顔の鬼のような老婆に姿を変えますが、まさしく「欲望」の権 化で、このような姿になる前に自制しなければ、と、読者は戒められたようです。
そして人を次々殺し女房をさらってきた上、女の言いなりになっていた「山賊」は「孤独」の化身です。「欲望」と「孤独」が絡むと悲惨なことに。空や山や桜など大自然で心を満たしておけば平和だったのですが……。
しんさん・なめこ 東京生まれ、埼玉育ち。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科卒業。新著にみうらじゅんさんとの共著『ヌー道 nude-じゅんとなめ子のハダカ芸術入門-』(新潮社)。なめ子さんのお花見必須アイテムは参加者の連絡先。待ち合わせに失敗し、諦めて帰ったことも。