『阿修羅のごとく』向田邦子
テンポの良い会話がテレビドラマのように展開する『阿 修羅のごとく』。主な登場人物は、夫に先立たれ、華道の師匠をしながらひとりで暮らす長女の綱子、平凡な主婦の二女の巻子、独身で図書館司書の三女、滝子、奔放な性格でボクサーと交際している末っ子の咲子。娘たちの子育てを終えた両親、恒太郎とふじは東京の国立で静かに暮らしています。
姉妹ものの作品は美しいイメージがありますが、『阿修羅のごとく』には生々しくてリアルな女性の本性が描かれています。姉妹が母の踵がひび割れていた話で盛り上がったと思ったら揚餅で長女の差し歯が折れたり……。冒頭から波乱の予兆ですが、姉妹が集まったのにはある理由が。68歳の父親に愛人がいるらしいのです。長年連れ添った65歳の母親を思って怒り、困惑する四姉妹。ちょうど新聞の投書欄に、この家族のことのような、老いた父に女性がいる、といった内容の投書が掲載。誰が書いたのか、母は読んでしまったのかと、姉妹の間で物議になります。
母のふじはおだやかに見えて、ふとした隙に感情を露わにします。序盤で、夫のコートのポケットにミニカーを見つけて、襖に向かって投げつけた母の顔は、一瞬、阿修羅と化していました。そのミニカーは、父の愛人の連れ子のおもちゃだったようです。そしてある日、巻子が父の愛人のアパートの周辺を歩いていると、母のふじが立ち尽くす姿を発見。「悲哀とも羞恥ともつかぬ色」を浮かべた母はくずれるように路上に倒れます。病院で横たわる母の横で、父を責め立てる巻子。巻子の夫の鷹男にも浮気疑惑があったので、つい恨みつらみが増幅。「女は阿修羅だよ」という鷹男の言葉が実感をもって迫ってきます。意識が戻らないまま、ふじは逝去してしまいました。意識がなくても聴覚は残るという説があるので、夫が「少しだけ人生のツヤを楽しむのが、そんなにいけないのか」とか開き直っていたのもショックで、生きる気力を減退させたのかもしれません。この小説の主人公は実は母親かと思うくらい、死後もエピソードが出てきます。母の着物を形見分けするシーンで、姉妹はジャンケンし、大島を勝ち取った巻子。さらにたんすの中を見ると底から春画が出てきました。19歳の時に嫁入り道具として春画を大切に持ってきたうぶな母も、夫の浮気に悩み、夜中、もんぺ姿で石ウスをひくように……。インナー阿修羅が姿を現したようです。
娘たちも順風満帆というわけにはいきません。綱子は料亭の主人と不倫中で、服も部屋も乱れた状態で情事に溺れるさまが描かれています。巻子は夫の浮気疑惑で放心して万引き。滝子は興信所の勝又と交際するも、はじめての交際でスムーズにいかず2人で床を転げ回ったり、彼の頭に金かな槌づちを落としたり、奇行に及びがちです。咲子はボクサーの陣内と結婚して一時は羽振りが良くても、試合のダメージで再起不能に……。それでも彼女たちは母から受け継いだ阿修羅遺伝子でタフに生きていけそうです。これからは雲の上の阿修羅界から母が守護してくれることでしょう
しんさん・なめこ 東京都生まれ、埼玉県育ち。漫 画家、コラムニスト。武蔵野美術大学短期大学部 デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。近著に『愛すべき音大生の生態』(PHP研究所)、『女子校 礼讃』(中央公論新社)など。Twitterでnameko@ godblessnamekoもチェック!