『利休にたずねよ』の中谷美紀
嵐の中、白装束の千 利休(十一代目市川海老蔵、当代團十郎)が広縁に座して自ら命を絶とうとしている。妻の宗恩(中谷美紀)が翳(かざ)すろうそくの火は、その命のように今にも雨風に吹き消されそう。宗恩はささやく声で利休にたずねた。「あなた様にはずっと思い人が……」と。「茶聖」利休に秘恋ですって?と私は身を乗り出した。
この映画は山本兼一の小説をもとに作られ、これまでにない利休の横顔を浮かび上がらせようとし、静かな利休と相対する秀吉(大森南朋)の激しさとがドラマを生む。秀吉の怒りをかい切腹を命じられた理由のひとつとされる「利休木像」を掲げた京都・大徳寺の三門を拝見できるのも見どころ。
信長や秀吉に一目を置かれた利休は、茶会を取り仕切る「茶頭(さどう)」として重用された。秀吉が帝に献茶をした有名な「黄金の茶室」も利休が造作を考案したらしいと言われ、本作でも秀吉が緊張のあまり、お茶を立てる手がぶるぶる震えて、秀吉の人間性がよくわかる場面に使われていた。
利休は才気走ったセンスの塊のような人。その時々に応じたもてなしでお客をあっと驚かせる。たった二畳という狭小の茶室を建てたり、竹の節を生かした茶匙(ちゃさじ)を作ったり、そうした無作為な侘(わび)しい物品を、輝く物に変身させる舞台として、簡素な土壁の茶室「草庵」の様式を極めたり、利休は物もの凄すごい演出家ですね。
利休に稗(ひえ)のお粥(かゆ)をふるまわれた秀吉は、故郷の母まで思い出して、生きている歓(よろこ)びに包まれ幼子のように涙を流す。人を虜(とりこ)にするそのセンスはどこから? 自分はなぜそこに到達できないのか?と、野心家で屈託もある秀吉は利休を喰(く)い尽くそうとするが、自分の幼稚さを目の当たりにするばかりだ。でもね、貴殿が富を誇る派手好みだったから、利休の侘びの趣向にも磨きがかかったのかもしれませんよ?と、秀吉を慰めたくなった。上からで誠に恐れ入ります。
宗恩の、利休に差し出された茶碗を手にしてこぼれる慈しみの表情からは、夫の美学への理解の深さが伝わってきて、これが正解なんだなと思わされる。そんな宗恩のお召し物は、かすかにさくら色を感じる上質の無地の着物と幅の狭い帯。無駄を削(そ)ぎ落とした極上感に吸い込まれそうになった。髪は後ろで一つに束ね長く垂らした「下げ髪」で中世の雰囲気。夫がセンスの塊のような人だと妻は肩が凝って大変だろうなあ、と思うのだけど、お宅はどうでしたか?と、私は宗恩にたずねたい。
文、イラスト=浅生ハルミン
あさお・はるみん イラストレーター、エッセイスト。「郷土玩具をモチーフにした手拭いの新色バージョンを、『七緒』編集部と製作しました。うれしいな!」。手拭いの詳細は年間購読案内P.125をご覧ください。