『雨あがる』の宮崎美子
浪人・三沢伊兵衛(寺尾 聰)は武道の達人。飄としていて、誰にでも敬語で話す腰の低さのおかげでちっとも強そうに見えないが、斬りかかってくる相手をなんなくかわし、小技だけであっけなく勝ってしまう。でも、こんなに秀でていても、なぜか職が決まらない。殿様に腕を見込まれていざ仕官、の寸前でいつも白紙になる。で、妻のたよさん(宮崎美子)と旅暮らしの身となった。伊兵衛の謙虚すぎる人柄が引き起こすエピソードの連続に、映画を観ている側にはその理由が「ははーん」とわかってくる。しかし本人は気づいていないところに、なんともいえない人間のおかしさとよさがある。
長雨に足止めをされた伊兵衛とたよさん。雨があがるまで何日もおんぼろ宿にとどめおかれた。伊兵衛は同じ宿の大部屋に寝泊まりしている旅芸人、飴売りや夜鷹稼業の旅人たちに、憂さ晴らしになればとご馳走を振る舞う。そのときの伊兵衛の些細な一言が、「おや?」と観る側に最初のさざなみを立てる。
伊兵衛はどこからか調達してきた魚や野菜やお酒を宿屋に運び込んだ。「みなさん、手を貸してください」と爽やかに登場し、何人かでないと運びきれない量の食材を並べて「なんにもありませんが」と申し訳なさそうに勧める。旅人たちは一瞬とまどうが、気を取り直して「こんなに幸せなことはこれまでなかった」と飲めや歌えの一夜を過ごした。伝わりますか、この感じ……。旅人たちとしては、無用な謙遜をされると調子がくるってしまうのである。お偉いさんには「みなのもの、よきにはからえ」と驕ったり見栄を張ったりしてほしいのである。伊兵衛は一事が万事、その按配。山道でたちの悪い武士に囲まれたときも、「すみません、すみません」と謝りながら勝ってしまい、「大丈夫ですか、手は痛くありませんか」と気の毒がる。面白い人だなあ。でも斬られるほうは、謝られると余計に傷が深くなる。こんなことってあるよなあ。へりくだりすぎたことも、人からされるときがあるよなあ。こんなことが書いてあるならもっと読まなくちゃと思い、すぐに原作の山本周五郎の文庫本を買いに行った。
伊兵衛を心配しつつも「このままで、ようございます」とそっくりそのまま受け入れるたよさん。殿様の使者に啖呵を切る芯の強さに胸がスカッとした。侘しい宿屋に長期滞在中も、着物が少しもくたびれていない。一本筋の通ったかっこよさがそこにありました。
文、イラスト=浅生ハルミン
あさお・はるみん イラストレーター、エッセイスト。『江戸・ザ・マニア』(淡交社)が好評発売中。『本の雑誌』(本の雑誌社)にてこけしをテーマにエッセーも連載中