『日日是好日』の樹木希林
「日日是好日」とは、禅の心境をあらわす言葉だそうだ。
主人公の典子(黒木 華)は二十歳の大学生。一生をかける何かを見つけられないまま、学生生活が過ぎていくある日、いとこの美智子(多部未華子)に誘われて戸惑いながら武田先生(樹木希林)が開く茶道教室に通い始める。
それから典子のそばにはいつも「茶道」が存在するようになった。茶室から見える障子越しの庭、床の間の季節の花とそれに合った花入れ。掛け軸の書、茶器、菓子の彩り。余計なものが何ひとつない茶室に広がる水紋のように、まあるくこころに作用する。その凄さは、言葉にすることができない。お茶席とは、なだらかに移り変わる季節の中の瞬間を味わうという経験を、稽古を重ねて受け取っていくもののよ
うなのだ。
中でも印象的だったのは、雨に包まれたある日の茶室。典子は一点を見つめて雨の音に耳を傾ける。雨の音は滝の音と重なり、そこから海の渚なぎさの風景へ。亡き父が立っていて、典子は身か ら体だ全部を揺らして手を振り続ける。父の死を受け入れることができなかった典子を、一服のお茶が目覚めさせてくれ
た。この映画は武田先生の茶事を通じて、時間をかけて変化する典子の成長譚でもあるのだ。
希林さんが演じる武田先生は、大きい家にひとりで暮らしていて、ご近所では「ひとりだけお辞儀の仕方がちがう。なんかお辞儀されるだけではっとする。理由はわからない」と噂うわさされる、独特のおばあさんだ。お茶の作法には厳しいが、意固地ではなくしなやかで、でもお茶目なところもある。しかし、着物の着方や所作、書の選び方、典子にかける少しの言葉から、先生の身体を通ってきた時間が渗にじみ出ていて「この人は〝本当のこと〞を知っている人だぞ」と感心してしまう。それは希林さんご自身を同時に感じるからだと思う。私は希林さんの肝心要で不動の存在感の中に、ひょっと顔をのぞかせるお茶目な揺らぎに心が躍るのですが、この映画の中では、熊谷守一の描く絵のタッチに似た、明るい玉子色の花を盛った帯の柄が「ああこの感じ!」と思わせてくれた。
典子にとっては、人生の本当のことを知っている人に会える場所、訪れると変わらずに待ってくれている心の拠り所どころ、それが武田先生の茶室だった。そんな「もうひとつの場所」に駆けこめるのは素晴らしいことと思う。
文、イラスト=浅生ハルミン
あさお・はるみん イラストレーター、エッセイスト。「今年は各地でお祭りが中止に。それに伴い草履屋さんがピンチというニュースを見て、下駄(げた)箱から下駄を出しました。ふだんから履こう」