浅生ハルミンの銀幕のkimonoスタア20 『ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜』の松 たか子

『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』の松 たか子
映画『ヴィヨンの妻』をひとことで言うなら「周りの人と比べないで自分のルールで生きてる人にはかなわない」という話だった。社会の思慮分別を超えて、自分のいとおしむものを信じて疑わない佐知さん(松 たか子)の、あぶなっかしい強さが描かれている。
夫の大谷穣治(浅野忠信)は売れっ子の小説家。お酒、借金、愛人、心中という無頼放蕩(ほうとう)を尽くしている。佐知さんはおんぼろな家で幼子を背負いながら、家を空けがちな夫を待つ日々だ。
大谷は入り浸っていた居酒屋「椿(つばき)屋」のお金を奪って逃げる。その尻拭いに、佐知さんは志願して椿屋で働き始めた。明るく器量よしの「椿屋のさっちゃん」は人気者になり、客は競ってチップをはずむ。「私、お金になるんだわ」「どうして最初からこうしなかったのでしょうね」と、生き生き働く。自前の着物からおかみさんのおさがりに着替えて、日に日に綺麗(きれい)になっていく。そんなとき大谷は、愛人の秋子さん(広末涼子)と一緒に山の中で大量の睡眠薬を飲む。
この映画を面白くしているのは、佐知さんが決して清く正しいわけではないところだ。大谷と結婚したのも、佐知さんが片思いしていた弁護士志望の男(堤 真一)のために衿巻きを万引きしたことがきっかけであるし、大谷がよそのお金を奪っても、そのお金がないと店が潰(つぶ)れると伏す店主を前にはははと笑う。そういう自分の夫の業の深さもろとも、喜劇なのである。佐知さんには、誰かの決めた法律なんてそれがどうした、なのである。彼女はそういう野蛮な真実を、突きつけてくる人なのだ。
佐知さんの着物はいたって素朴。それが彼女の野蛮さを際立てる。家で過ごすときは、白地に紺の菊の花の清楚(せいそ)な浴衣で掃き溜(だ)めに鶴。不意の来客には浴衣の上に粗末な羽織を一枚。椿屋では民芸調の絣(かすり)の着物、赤いたすきに白いエプロンできびきび接客。弁護士に「お金、ありません」と掛け合うときは赤い口紅を塗る。やっぱり赤は気合が入りますよね、よぉーし!
夫の尻拭いに駆け回る佐知さんだが、ちっとも恩着せがましくない。「幸せです」という松 たか子さんのケロッと楽しそうな雰囲気が最高だ。
最終的にいつも大谷は佐知さんの手のひらの上にいる。ありのままで底抜けに完璧な妻。まるで自分の到達したい芸術の境地に彼女が先にいるように見えたとしたら、これは悔しいですよ。苦悩の塊なのについ飄々(ひょうひょう)としてしまう大谷の人物像も、実にふるっていた。

文、イラスト=浅生ハルミン

あさお・はるみん 三重県生まれ。雑誌や書籍などで活躍中のイラストレーター、エッセイスト。
著書多数で、中でも『私は猫ストーカー』(洋泉社)は、2009年映画化され、話題に。
近著にパラパラ漫画『猫のパラパラブックス』シリーズ(青幻舎)。

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