『女が階段を上る時』の高峰秀子
圭子ママ(高峰秀子)は銀座のバーの雇われマダム。亡き夫への誓いを守り抜いているお堅い女性だ。身に着ける地味めな縞の着物は、彼女を閉じ込める格子戸のよう。
喫茶店で働いていた圭子をスカウトしたこまっちゃん(仲代達矢)と、独立して自分の店を出そうみたいなことで、よかったなあ、やっとここまでになったなあと貸店舗を2人で見に行くのだが、そのときの2人が素晴らしかった。「俺がシェイカーを振ったっていいんだよ」。背広の上着を脱ぐやいなや、何もないカウンターで、ままごとのようにシェイカーを振るまねをしてはしゃぐ。白いワイシャツに振り向きざまの笑顔がキラキラしている。圭子ママもつられてキラキラしかけたとき、ワイシャツの口紅に気づいた後のほんのわずかな表情の変化が、細やかな心の動きを表していてすごい。圭子ママは自分の誓いを守るために断固として、でもうまくかわして、お客の誘惑を退ける。割り切りなさいよと忠告されても、客にこびるための派手な着物は着たくない。お誘いの電話もかけたくない。後輩のホステス(団¬玲子)に誰が好き? と聞かれても「お客さまはみんな恋人だと思わなくちゃ、私たちの商売は務まらないわ。1人だけ好きってわけにはいかないのよ」と言い聞かせる。「結局女は簡単に許しちゃだめだと思うの」「一度崩れたらそれこそ、とめどがなくなっちゃうような気がするわ」と言いながらも、寂しさを奥歯で噛かみしめている。
でもその台詞は恐ろしいお膳立てだ。お堅いママを突き崩そうとする誘惑が、矢のごとく降ってくるのだ。見かけ倒しの男、肝心なことになると去る男。弱り目にたたり目。傷痕は重なり、えっ、その人にまで!? と、とことん追い詰められていく。この試練からどうやって抜け出すのだろう! 女一人で生きる知恵を私にもおくれよ、などと思って見ていたけど、生きることに必死な美貌のママが衣を剝ぎ取られるようにおとしめられていくのを、見たくない! でも見たい! と黒っぽい気持ちで楽しんでしまった。『女が階段を上る時』は「女がとめどなく落ちてゆく時」を見てしまう映画だと思う。どっこい、何度でも上がってくる活力も一緒に。
文、イラスト=浅生ハルミン
あさお・はるみん 三重県生まれ。雑誌や書籍などで活躍中のイラストレーター、エッセイスト。
著書多数で、中でも『私は猫ストーカー』(洋泉社)は、2009年映画化され、話題に。
近著にパラパラ漫画『猫のパラパラブックス』シリーズ(青幻舎)。