浅生ハルミンの銀幕のkimonoスタア8 『小早川家の秋』

ゆかたの季節到来。机に向かう仕事をするとき、気合いを入れるためにゆかたを着たい欲望が高まって、姿見の前で着付けに奮闘した。私の家の姿見は玄関の靴箱の近くに立てかけてあるので、脱衣所でなく玄関で前をはだけていると、中学生の頃、学校の帰り道にちょくちょく遭遇したトレンチコートの男のことを思い出してしまった。 

 何回も繰り返し観たくなる、見事な着替えのシーンが『小早川家の秋』には出てくる。小早川家は京都の造り酒屋だ。時代の波に押されるなか、大旦那(二代目中村鴈治郎)は娘婿に商いをまかせたまま、おめかけさんのもとにいそいそと出かけたりして、自由気ままに愉たのしく暮らしている。彼は家族に文句を言われながらも愛されている。

 着替えの名シーンというのは、大旦那が孫とかくれんぼをしながら、ゆかたからきものに着替えるところ。おめかけさん宅に行くために着替えるのである。当然、家族の目を盗んで出かけて行くのである。「もうええかーい」「まあだだよー」と無邪気に声をこだまさせながら、そっと箪笥(たんす)のひきだしに手をかけ、ステテコ姿になり、きものを羽織って角帯をしゅっとしめて、「もおええよー」と声を残して見事に脱出成功。ウォンバットのようなまるっこい身体つきといい、短足といい、いたずらっ子そのもののような鴈治郎だった。ゆかたのときにちょこっと見える足の裏までチャーミング。と同時に、ゆかたでよそにお呼ばれするときは、足の裏をきれいにお手入れしておきませんと、と、あらためて思わされる映画でもあった。

 夏用の建具を開け放ち、広々とした畳の座敷。ぐるぐるの蚊取り線香や鶏頭の花咲く残暑。小早川家のひとは家にいるときゆかたを着ている。出かけるときはきものに着替える。楚々(そそ)として、全部を目の中に入れておきたいほどの着こなしだ。団う ちわ 扇や扇子も素敵だった。けれど、亡き長男の妻・秋子(原 節子)はゆかたを一度も着ることがなかったのはなぜだろう。そこに小早川家との距離の取り方があらわれている気がした。その秋子の再婚話と次女(司 葉子)の縁談、大旦那の健康と暮らしが重層的にゆっくりと動いていく。

文、イラスト=浅生ハルミン

あさお・はるみん 三重県生まれ。雑誌や書籍などで活躍中のイラストレーター、エッセイスト。
著書多数で、中でも『私は猫ストーカー』(洋泉社)は、2009年映画化され、話題に。
近著にパラパラ漫画『猫のパラパラブックス』シリーズ(青幻舎)。

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