浅生ハルミンの銀幕のkimonoスタア 2

『シネマde昭和 女の一生』
1967年公開、野村芳太郎監督作品。文豪モーパッサンの名作『女の一生』を戦後の信州に舞台を置き換え映画化。ただひたすらに生きながらも、夫や子供に裏切られてゆく女の悲劇を、美しい信濃路を背
景に描く。『シネマde昭和 女の一生』DVD発売中/3024円/発売・販売元:松竹

信州のお金持ちの家に生まれ大切に育てられた伸子さんは何もしなくたって幸せが向こうから歩いてくると思っているお嬢さん。女たらしの宗一との縁談が持ち上がり、そうとは知らず夢見て舞い上がるが、宗一が家政婦のお民さんを押し倒しているのを目撃してから一変、お民さんが宗一の子を身ごもっても離縁できずに憂鬱(ゆううつ)な毎日。実のお母さんに訴えても「そんなことは誰にでもあることだよ、夫婦だったら」と諭される。あぁどうしてわかんないのよぉ、人間のクズみたいな婿をなぜ早く追い出さないのよぉ、とお化けを見たのに誰も信じてくれないような歯は痒がゆさでこちらまでもどかしい気持ちだった。宗一は最後には間男してその夫に女もろとも撃ち殺されてしまう。ここで私はものすごく清々して、撃ち殺したひと、よくやった! と血まみれの画面なのに拍手してしまった。
 諸悪の根源がいなくなった後も伸子さんは心細い。問題児のひとり息子はお金を無心してばかりの本人オレオレ詐欺みたいだし、この息子も父の血を受け継いでいるんだから次はどんな……と、恐ろしい連鎖の余地を残して、なんだかもう映画『オーメン』を見ているときの気持ちと似ていた。
 伸子さんの身に起きる不幸は、はたしてお母さんが言ったとおり「誰にでもあること」なのだろうか。火種を放置してあり地獄にはまってゆくような怖さを随所に感じたのだけれど、私も伸子さんのように人生を恐れているのかなあ。でもそれは不幸な出来事の背後が見えるように映画がつくられているからこそ怖く感じたのかもしれない。お民さんが「世の中、思ったほどええもんでも悪いもんでもねえだ」と言うとき、目の前が明るむような気分になるし、実のお母さんのように、お気楽なまま一生を終えるほうが幸せなんだろうなあ。でもそのまま「私の人生なんてね、見終わって思い出したくもないお芝居みたいなものじゃないかしら」と言っている伸子さんも素敵だと思う。若き日の田村正和が岩下志麻の息子役というのも見物だ。

文、イラスト=浅生ハルミン

あさお・はるみん 三重県生まれ。雑誌や書籍などで活躍中のイラストレーター、エッセイスト。
著書多数で、中でも『私は猫ストーカー』(洋泉社)は、2009年映画化され、話題に。
近著にパラパラ漫画『猫のパラパラブックス』シリーズ(青幻舎)。