おおらかな島の自然を宿す草木染めの糸を使い、手織りで優しい風合いに織り上げるミンサー帯。
ゆかたにも、木綿や紬(つむぎ)の着物にも合わせたくなるこの愛(いと)おしい帯は、
どうやって私たちの手元に届いているのでしょう?
年を取っても、仲間がいつも集まれる場所があったらいいな
個々の織り手によって、さまざまに仕上がったミンサー帯は、白保の「染織工房なわた」へと運ばれる。ここは松竹さんが、11年前に一念発起してつくった、仲間たちの集会場だ。
「私たちみんなのものづくりの姿勢を見せられる場所があったらいいな」「子育てとか介護とか、いろいろあるけど、年を取っても仲間がばらばらにならないで、いつも集まれる場所があったらいいな」。その想いが高じて、資金づくりのために銀行に走ったのは、55歳のとき。「80歳までに返せばいいっていうからさ。いや、もう、返したけどねー」。松竹さん、なんという甲斐(かい)性なのか。工房につけた「なわた」の名は、松竹さんの旧姓だ。
「白保の人たちは、苗字(みょうじ)を見れば、ああ、あの家の子だって、すぐにわかるんですよ。だから、私はここにいます、って言いたかったし、みんなが訪ねてきて、集えたらいいなと思ったの」
ここでの活動は、八重山上布の帯、ミンサー帯の納品、検品、発送などのほか、メンバーたちがつくった布や小物を販売する「日曜市」の開催も。織り手による作品の展示や販売は、白保を訪れる観光客たちにも大人気。高価で手の届かない美しいものではなく、自分の身の回りに置くことのできる価格であるのもミンサー織のひとつの魅力だ。
「染織工房なわた」に集まる織り手の人たち。納期の日にはそれぞれ織った作品を持ち寄り、互いに検品し合い、発送の手配までをすべて共同で作業する。
展開したいのは現代版の、これからの民藝(みんげい)運動
「私、値段のことは興味ないの。ミンサー織は、生活のものだからさ。つくったものが喜んでもらえれば、それでいい」。松竹さんの言葉は、「着物は、実用のもの。飾っておくものではない」という矢嶋さんの考えと呼応する。
「やまと」が展開していくのは、現代版の、これからの民藝運動だという。
かつて柳 宗悦が100年程前に、各地の生活用具に宿る美を見いだし、「用の美」の視点で民藝運動を展開していったように、これからは「実用の着物」を広めていく。それが、現在の「やまと」のビジョンだ。「希少性だけに重きを置くのではなく、民藝としての着物の美しさも大切にしたい」
そう語る矢嶋さんが愛用するのは、木綿や麻の着物。暑い日でも涼やかに過ごせるように、麻の下着で心地よく。たとえ雨にぬれても、すぐに洗えるから大丈夫。そんな日常着に合わせているのがミンサー帯だ。その動ける着物で、社員たちとともに何度も旅を重ねる理由は、「みんなに元気な産地を実際に見て、感じてもらうため」だ。
「産地の人たちの元気な言葉と僕の言葉は同じなんです。同じ想いで話している。だけど、僕が東京の社内で話すよりも、産地で聞く言葉の方が、ずっと響くみたいなんですよね(笑)」
【第1回】これからの民藝 八重山ミンサー織 1 を読む
【第2回】これからの民藝 八重山ミンサー織 2 を読む
三つの島のものづくり
今回取材した石垣島のほか、竹富島や西表島にも個性豊かなつくり手がいます。
「きものやまと」では、2024年5月~6月をミンサー帯月間として、特設サイトでスペシャルムービーを掲載中。
天然染料を使用した「きものやまと」のミンサー帯は一期一会。全国の「きものやまと」では多彩なミンサー帯をお取り扱いしており、
オンラインストアでは100本のミンサー帯をご覧いただけます。
ミンサー帯について詳しくはこちら↓
「きものやまと」お客様サポートセンター
☎0120-18-8880
https://www.kimono-yamato.co.jp/
文=藤田千恵子 撮影=松木 翔 イラスト=カヤヒロヤ