おおらかな島の自然を宿す草木染めの糸を使い、手織りで優しい風合いに織り上げるミンサー帯。
ゆかたにも、木綿や紬(つむぎ)の着物にも合わせたくなるこの愛(いと)おしい帯は、
どうやって私たちの手元に届いているのでしょう?
「美しいものをつくる」と目標を定め、やれることは、全部やる
松竹さんの力強い言葉には、自分で道を切り拓(ひら)いてきた人ならではの重みがある。「美しいものをつくる」という人生の目標を定めたのは、中学生の頃。「この島では学べない」と一度は石垣島を離れて、工芸やデザインを学ぶことのできる沖縄本島の高校へ。卒業後は京都、首里と居を移し、着物の図案づくりから学んだ。自分の道を進むための基礎を身につけて、再び石垣島に戻ったのは20歳のときだ。
そこからは、「やれることは、全部やる」の精神で八重山上布の織り手としての活動に。1990年には、石垣市の後継者育成事業の講師に抜擢され、自分のものづくりだけでなく、人を育てることも同時に続けてきた。
そのときの教え子の一人が、現在、織り手として活躍中の浦崎しな子さんだ。浦崎さんは「子供を育てながら家でできる仕事」を求め、その技術を身につけるために松竹さんが教える講習へと朝から夕方まで懸命に通った。「必死で習った。この学びは絶対に捨てられない」との想いから、染めと織りの道に入って三十数年。今では松竹さんが信頼を寄せる頼もしい仲間だ。
その浦崎さんの染色は、自宅の庭で育てた草木や島の自然を染料としたものだ。藍の染料が手に入らない、と聞けば、庭に木藍の種をまき、そこから育てた藍の葉で染料をつくって藍染めに。島の防風林でもある福木は、石灰を媒染剤とすると、鮮やかな黄色に発色する。
「いろんな発色があるから、面白みもすごいの。そもそも布は大好き。楽しい仕事だなあ」。庭に入った浦崎さんは、生き生きとしていて楽しそうだ。「やまと」のミンサー帯は、すべて天然染料から生まれる。染料の宝庫のような庭で矢嶋さんは思わず「ここは生命力の島だなあ!」と感嘆の一言。
福木+石灰で鮮やかな黄色に。色はすべて自然の産物から。藍染め用の壺(つぼ)に、発酵を経て表面に浮き上がる泡は“藍の花”。染め頃の目安に。
浦崎さんの手で染め上がった糸。ヒルギ(黒褐色・赤褐色)、福木(黄色)、紅露(〈クール〉赤茶色)、茜(ピンク)、クワディーサー(茶色・グレー)……。媒染剤の違いにより完成時の色は異なる。
草木で糸を染め、手織りする。生活とひと連なりのものづくり
その生命力あふれる草木からいただいた色とりどりの糸を整えるのも織るのも、自宅を改造した工房で。「家で子供を育てながら仕事をしたい」という願いの通りに、浦崎さんは、生活とひと連なりのものづくりを続けている。今では息子さんの妻の汐里さんも工房の仲間となった。その汐里さんが手がけているミンサー帯には、木藍の青、福木の黄色、クワディーサーのグレーが美しく織り込まれている。ミンサーとは、「綿(ミン)の幅の狭い(サー)帯」の意味。ミンサー織の特徴となる五つ玉、四つ玉と呼ばれる絣(かすり)文様は、「いつ(五)の世(四)までも末長く」という願いが込められたものなのだという。
……キュン。八重山の美しい青い海を映し込むように。あるいは、茜(あかね)色に染まる空を表現するように。そもそもは、女性が愛する男性に贈るため、心を込めて織ったのが色とりどりのミンサー帯なのだ。
織り手によって、きっちりと織られたり、あるいは、ふわりと優しく織られたり。呼び名は同じでもミンサー織の仕上がりには、織り手の個性の違いも表れるのだそうだ。
ピンと張られた美しい経たて糸を見ていた矢嶋さんからは「ミンサー織も会社の経営も、経の糸がしっかりしていないといけないんだよな」と実感のこもった一言が。
【第1回】これからの民藝 八重山ミンサー織 1 を読む
【第3回】これからの民藝 八重山ミンサー織 3 を読む
三つの島のものづくり
今回取材した石垣島のほか、竹富島や西表島にも個性豊かなつくり手がいます。
「きものやまと」では、2024年5月~6月をミンサー帯月間として、特設サイトでスペシャルムービーを掲載中。
天然染料を使用した「きものやまと」のミンサー帯は一期一会。
全国の「きものやまと」では多彩なミンサー帯をお取り扱いしており、オンラインストアでは100本のミンサー帯をご覧いただけます。
ミンサー帯について詳しくはこちら↓
「きものやまと」お客様サポートセンター
☎0120-18-8880
https://www.kimono-yamato.co.jp/
文=藤田千恵子 撮影=松木 翔 イラスト=カヤヒロヤ