第三十回 土蜘蛛(ぐも)退治図鐔銘松涛軒吾竹貞勝

第三十回 土蜘蛛(ぐも)退治図鐔銘松涛軒吾竹貞勝

 何に使うものか、知らない人には想像がつきにくいと思うが、本作は刀の鐔。 中央部に空いた穴は、茎なかごを通すためのものだ。鐔は刀の柄(つか)と鞘(さや)の間に挟み、柄を握る手が刀身のほうへ滑らず、相手の攻撃から自らの手を保護するための金属製の装具のこと。その大きさや形状、材質、技法まで、歴史を通じて大きく変化してきた。

このように装飾的で、現在鑑賞の対象となっているような鐔が出現するのは、室町時代以降のこと。太刀(反りのある鎬(しのぎ)造(づくり)の両手柄湾刀で、刃を下方に、腰 に吊(つる)して/ 佩(は)いて携帯する。平安時代後期頃に出現したと考えられている)に代わって、刀剣の主流を占めるに至った打刀(刃を上にして、帯に挿して携帯する。軽量で短く、近接戦闘に適した刀として、室町時代後期から隆盛。太刀を磨すり上げて打刀とすることも頻繁に行われた)につく鐔である。特に鐔の名手といわれる職人が輩出される のは、江戸時代も後期から。元禄期を過ぎ、刀鍛冶が急速に衰退していくのと反比例するように、優品が作られた。本作もそんな名品のひとつ。

 刀を抜いた剛の者に、蜘蛛の巣を背負った物の怪けが恐れをなしたのか後あと退ずさる風を見せている一場面。ごく小さな盤面に表現されているとは思えない迫力が感じられる。江戸時代の武士であれば、これは四天王を従え、無双の剛勇を謳う たわれた平安時代中期の武士・源頼光が、人々を悩ます葛城(かつらぎ)山(さん)の土蜘蛛を名刀・膝丸で退治した物語に由来するものだと、ひと目でわかったはずだ。頼光の武勇伝は、大江山の鬼退治がテーマとなった能《大江山》やお伽草子(おとぎぞうし)《酒呑(しゅてん)童子》、やはり怪物の土蜘蛛退治の話をもとにした能《土蜘蛛》(シテが蜘蛛の糸を投げる演出が特徴的)などを通じて、広く知られていた。その頼光が刀を揮(ふ) るう場面で、自らの刀の手元を飾る。験を担ぎ、武士としての気概を示そうという、粋な意匠を選んだものだ。

 鐔に表された頼光の装いは、平安時代後期に武家が京へ持ち込み、公家の普段着としても採り入れられていった「直垂(ひたたれ)」。束帯や直衣(のうし)、狩衣など、他の公家の装束とは異なり、首のまわりを囲む唐風の丸首式(公家風)ではなく、現代の着物のように、襟を斜めに重ね合わせた形式(武家風)の、武家を代表する服装でもある。  そもそもが平服なので、布地や色目に決まり事は少なく、さまざまな色・柄で装った。だが時代が下るにつれて、儀式的な公服とされるようになり、江戸時代の服制では、白小袖に直垂、風折(かざおり)烏帽子(えぼし)が武家最上の礼装となった。

 

 

 

文、選定=橋本麻里

はしもと・まり  日本美術を主な領域とするライター、エディター。公益財団法人永青文庫副館長。金沢工業大学客員教授。2021年12月に『図書』誌での連載をまとめた単行本『かざる日本』(岩波書店)を刊行予定。

 

 

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