第十七回 舞妓

 〔 西洋人の眼が見た舞妓 〕

 日本の洋画第一世代である高橋由一が亡くなる前年、9年にわたるフランス留学から帰国するのが、旧来のアカデミズムと新たに台頭した印象派の外光表現に学んだ、黒田清輝である。

 法律を学ぶために渡仏した黒田は、途中で方向転換してアカデミズムの画家ラファエル・コランに師事。同時代のフランス絵画に刺激を受けつつ、サロンへの入選を果たす。どうすれば日本の絵画が、国際的な評価を受けるものになるのか。明るい光の中に日本的な画題や、理想化された日本人の身体を描く黒田の作品は、日本の洋画壇に清新な風を吹き込む。さらに東京美術学校(現在の東京藝術大学)で西洋画の教育に携わり、美術団体「白馬会」を結成。日本における西洋画の「アカデミズム」を築き上げた。

 この黒田と家族ぐるみのつき合いがあったことで知られるのが、文筆家の白洲正子だ。ジョサイア・コンドルの設計になる樺山家の重厚な洋館を、黒田の作品の中でも屈指の名作として知られる《読書》や《湖畔》が飾り、正子は朝夕その絵を見て育ったという。

 かつてNHKの美術番組に出演した正子は、「黒田さんの絵はみな、どこか西洋人の眼で見たようなところがありますね」と述べている。9年間のパリ留学から帰国した年、初めて京都を訪れた黒田の眼に、花街の文化はまさめに異国同然に映ったらしい。「黒田さんは舞妓(まいこ)がガラスでできているような、壊れ物みたいに見えたと賛嘆されている。それはずいぶん西洋人的な見方だと思います」

 もとは 10~13歳の子供が務めた舞妓むくの衣装には、純真無垢な子供の愛らしさを引き立てる仕掛けがさまざまに凝らされている。たとえば成長に合わせて丈を伸ばせる「縫い上げ」や、小柄な身体を際立たせる長い帯、鮮やかな色彩がそれだ。だが西洋人を相手にした茶屋で、舞妓の「小ゑん」と女中の「まめどん」をモデルに描いたとされるこの舞妓は、大人びた表情を湛(たた)え、境遇も装いもまったく異なる少女と、上の年次の舞妓だとわかる あたかも鏡像のように向かい合っている。髷(まげ)にさした簪(かんざし)が、小さな花が連なって垂れ下がったものではなく、大きな一輪の花であることから、舞妓としては上の年次なのだろうとわかる。 鴨川(かもがわ)を背景に無垢な少女から艶(つや)めいた女性へと移ろいゆく美を色彩豊かに描いた黒田は、その4年後、後に妻となる照子をモデルに、正子が「湖水から生まれた水の精のように清々(すがすが)しい」(『サンケイ新聞』 1978年9月1日夕刊)と評した《湖畔》を完成させる。

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東京国立博物館 黒田記念館 特別室

会場/東京国立博物館 黒田記念館(東京都台東区上野公園13-9)

会期/2018年10月30日(火)~11月11日(日)

開館時間/9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)

休館日/月曜(祝日・休日の場合は開館、翌火曜休館)

観覧料/無料(黒田記念館の建物へ直接入館)

問い合わせ先/℡03-5777-8600(ハローダイヤル)

 

 

文=橋本麻里

はしもと・まり 日本美術を主な領域とするライター、エディター。公益財団法人永青文庫副館長。秋の展覧会に向けてあれこれ仕込み中。京都国立博物館特別展「京(みやこ)のかたな」、MOA美術館「信長とクアトロ・ラガッツィ 桃山の夢と幻+杉本博司と天正少年使節が見たヨーロッパ」、上野の森美術館「世界を変えた書物」をお楽しみに。

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