第十六回  土偶 仮面の女神

 〔 人々を導いた偉大な女性祭司? 〕

   日本列島で発見された最古の土器は約1万6000年前、そして最古の土偶は1万3000年前に遡(さかのぼ) る。この頃、少人数の集団で移動しながら生活していた人間の暮らしは、1カ所に腰を据えて暮らす定住型へと変化しつつあった。重くかさばる土器は、持ち運びに向いていない。だから土器の製作と定住とは、ほぼ同時に進行した。土器で煮ることで、植物などから灰汁(あく)や毒を抜いたり、硬いものを柔らかくできる。おかげで人々が口にできる食べ物の種類は大幅に増え、生活はより豊かに、安定していった。土器は人類の歴史を画する、革命的な道具だったのだ。一方、土偶は「見て、感じる」ためのもの。当初は小型で、頭部のないものばかりだったが、長い時間をかけて少しずつ形のバリエーションを増やし、縄文時代中期(約5000~4000年前)、ついに顔を持つようになる。

  豊満な胸や腰を強調した「女性的な表現」も、実はこの頃から。土偶に施された妊娠を思わせる下腹部の膨らみや乳房の表現から、「再生と豊饒(ほうじょう)への祈り」、あるいは破壊された状態で発掘されることから、「病気や怪我(けが)を治すための身代わり」ではなど、さまざまな解釈があるが、どのような信仰に基づいてそれらがつくられたのか、今となっては推測するしかない。

  中でも特異なのが、2000年に長野県茅野市の中ッ原遺跡で発見された、『仮面の女神』(縄文時代後期前半)だ。顔面に施された逆三角形の造形と、そこから細い粘土紐が後頭部へ回り、あたかも仮面を結びつけるかのようであることから、「仮面土偶」と呼ばれる。さらにその身体は、丹念に磨き上げて光沢を出しつつ、蒸し焼きにすることで黒色を呈している。そして渦巻き文などの文様が全身を覆うさまは、刺青(いれずみ)、あるいは何らかの衣服を想像させる。『仮面の女神』が発掘された八ヶ岳山麓は、その遺跡数の増加ぶりから、中期に至って「縄文の首都」と呼べるほど繁栄したことが知られる。ところが後期に入る頃から気候変動など複合的な要因で、衰退へ向かう。そんな中で、何とかムラを維持し、集団を存続させようという苦闘の時期に、この「女神」がつくられた。墓の近くに副葬されたこと、意図的に破損した身体の一部を、中空の胎内に納め、共に埋納していることなどから、死と再生を意味する儀式に用いられたのでは、との推測もある。そして仮面や刺青を思わせる姿を考え合わせれば、集落を守り、導こうとした偉大な女性祭司の姿を見ることもできるのかもしれない。

文=橋本麻里

はしもと・まり  本美術を主な領域とするライター、エディター。公益財団法人永青文庫副館長。大学で美術通史の講義をしていたときは旧石器時代からスタート。美術史は、ヒトが人工物をつくるとはどういうことか、から考えはじめるもの。

 

 

 

 特別展「縄文─1万年の美の鼓動」

 会場/東京国立博物館 平成館 (東京都台東区上野公園13-9)

 会期/2018年7月3日(火)~9月2日(日)

 (「土偶 仮面の女神」の展示期間は7月31日~9月2日)

 開館時間/9:30~17:00 金曜、土曜は~21:00

 日曜および7月16日は~18:00(入館は閉館の30分前まで)

 休館日/月曜(ただし7月16日、8月13日は開館)、7月17日(火)

 観覧料/一般1600円

 問い合わせ先/.03-5777-8600(ハローダイヤル)