第十五回  風俗図屏風(彦根屏風)

〔 平和と倦怠(けんたい)の時代を装う 〕

 戦争、略奪、誘拐、逃散などが頻発する過酷な戦国時代――「憂き世」が終結し、天下統一によって平和が出現した近世初期、人々の生きる世界は「浮き世」に変じた。この時期、浮き世のさまを活写した風俗図が多数制作され、その中に描き込まれた遊里や遊女、カブキ者たち、祭礼といった都市の「風俗」は、それぞれに独立した画題として後の「浮世絵」になっていく。こうした近世初期風俗図の傑作が、彦根の井伊家に伝わったことから彦根屏風(びょうぶ)と通称される《風俗図屏風》だ。 妓楼(ろうぎ)内外の情景を描いたこの作品、4人の男女を抜き出した右端の2扇(せん)が妓楼の屋外であることは、彼らがいずれも足袋をはいていることからの推測だ。手に花を持ち、俯(うつむ)いた後ろ姿で描かれる禿(かむろ) の少女の胸中に、いったいどんな思いが去来しているのか気になるが、彼女を従える姉女郎の足袋が黒く見えるのは、鹿革の足袋をはいているから。もう1人の女性は中国経由、あるいは南蛮船で持ち込まれた小型の洋犬の綱を曳(ひ) き、当時最新の流行で装っていることを誇示するかのようだ。

 一方、刀にぐっと身体を傾けて預け、手には畳んだ扇、長羽織を羽織って女性たちの視線を集めるひょうげた男は、前髪を残した若衆姿のカブキ者。しかし彼らの体現する下剋上(げこくじょう)の論理、反権力の精神は、江戸幕府による封建体制の確立に伴い、厳しい規制の対象となりつつあった。若者の異様な風体はもはや、生命が脅かされることがない代わりに、厳しく統制されていく社会の息苦しさへの、抵抗を気取った「ファッション」でしかない。 屏風の左半分は、室町時代風の山水図を描いた屏風を立てまわす妓楼の室内を描いたもの。中国の三絃(さんげん)が琉球(りゅうきゅう)経由で伝来し、江戸時代に発達した新しい楽器である三味線を弾く遊女、双六(すごろく)に興じる男女、手紙を読み、あるいは書く遊女たち ……といった姿は、そのまま遊里の風俗として眺められる一方、中国文人の教養を示す「琴(三味線)棋(碁・双六)書(手紙)画(屏風)」の見立てとして読み解くこともできる。

 それまで、上流階級ほど服飾によって性差をはっきり表現してきたものが、小袖が男女共通の表着となり、「最新」という価値が重視され、不特定多数の人の間に「流行」が生まれていく。着物のあり方がもっともドラスティックに変容した時代 ││近世初期を先導した流行の発信者たちの姿を、この屏風はあたかもモード誌のグラビアの一葉のように、鮮やかに切り取っているのである。

 

文=橋本麻里

はしもと・まり 日本美術を主な領域とするライター、エディター。公益財団法人永青文庫副館長。著書・編著・共著多数。2018年1月に福岡市博物館主催のシンポジウム『「漢委奴国王」金印を語る』の公開討論会を生聴講。あまりにガチな意見対立ゆえに結論は次ラウンドに持ち越し。

 

 

 

 創刊記念『國華』 130周年・朝日新聞140周年

特別展「名作誕生─つながる日本美術」

会場/東京国立博物館 平成館 

(東京都台東区上野公園13-9)

会期/2018年4月13日~5月27日

(「風俗図屏風」の展示期間は5月15日~27日)

開館時間/9:30~17:00 金曜、土曜は~21:00

日曜、祝日は~18:00(入館は閉館の30分前まで)

休館日/月曜(ただし4月30日は開館)

観覧料/一般1600円

問い合わせ先/電話03-5777-8600(ハローダイヤル)