〔 あってもなくても気になる衣〕
絵画の中の美女がまとう着物に目を留めることはあっても、仏像の衣に注目したことがある人は少ないかもしれない。和服……ではなく、仏教発祥の地であるインドの服装が彼らのユニフォーム。実はそれぞれの「クラス」ごとに、身に着けるものが異なっている。
まず名前に注目してみよう。仏像の名前の末尾には、ほぼ必ず如来、観音、明王、天、などの言葉がつく。これは、それぞれの仏像の属す階級を示しており、その順序は「悟り」への距離で決釈迦(しゃか)を含め、悟りを開き、真理に達した存在は、最上位の「如来」に属する。2番目の階級は将来悟りを開くことを目標に修行中で、人々を救うために働いている「菩薩(ぼさつ)」。3番目の「明王」は密教の中で考え出されたグループで、頑迷な人、切迫した危機に瀕(ひん)している人を救うために、厳しい顔つきをしている。4番目の「天」はインド古来の神を取り込んだ階級で、仏敵と戦うガードマンの役割を果たしている。普通に考えると、尊格が上がるほど衣や装飾品はグレードアップしていきそうなものだが、天部が革の鎧(よろい)を身に着け、悟りを開く前のシッダルタ王子をモデルにした菩薩が、華やかなアクセサリーを身に着けているのに対して、如来の体を覆っているのはあっさりした衣1枚きり。すべての執着を捨てた如来に、身を飾る必要などない、というわけだ。
ところが中には、外見ではとっさに判断できない「例外」がある。この《阿弥陀如来立像(裸形)》もそのひとつ。如来は両肩を覆う通肩(つうけん)、あるいは左肩を覆い右肩にはわずかにかける偏袒(へんだん)右肩という2種の着つけが基本だが、下半身に1枚衣を巻いたきりで、上半身は裸。衣レスな如来以上の尊格の仏像……ではもちろんない。この時期、運慶をはじめとする慶派を筆頭に、仏像の「リアリティー」が追求され、また仏の存在を現世でリアルに実感したいという「生身(しょうじん)信仰」とが重なった結果、あたかも生身の阿弥陀如来が降臨したかのように、その体に本物の衣をまとわせることを前提とした半裸や全裸の像がつくられた。しかもこうした像は、単純に仏堂の中に安置されるだけではない。臨終に瀕した者を極楽浄土から迎えにやってくる、阿弥陀如来の一行の様子を儀式化した、ある種の宗教劇である「迎講(むかえこう)」の際、台車に載せてパレードをしたのだ。いつか自分を極楽浄土へ連れていってくれる阿弥陀如来をリアルに感じられることが、どれほど人々の心を慰め、力づけたか、そんな想像をしながら見てほしい。
文=橋本麻里
はしもと・まり 日本美術を主な領域とするライター、エディター。公益財団法人永青文庫副館長。新聞、雑誌への寄稿のほか、NHK Eテレの美術番組を中心に、日本美術をわかりやすく解説。著書に『橋本麻里の美術でたどる日本の歴史』全3巻(汐文社)、『京都で日本美術をみる 京都国立博物館』(集英社クリエイティブ)ほか多数。
「快慶 日本人を魅了した仏のかたち」
会場/奈良国立博物館 (奈良県奈良市登大路町50番地)
会期/2017年4月8日~6月4日
開館時間/9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)
休館日/月曜(ただし5月1日は開館)
観覧料/一般1500円
問い合わせ先/☎050-5542-8600(ハローダイヤル)
阿弥陀如来立像(裸形) 源平の争乱で焼亡した東大寺の復興を指揮した僧が重源(ちょうげん)。本作は重源と親交が深かった、慶派の仏師・快慶の手でつくられた。