第六回 「遊歩美人図」江戸のスーパーモデルは小袖もヘアも流行最先端

そもそも日本美術史に「美人画」というジャンルが生まれたのは、近世初期。応仁の乱で灰じんに帰した京都が復興し、都としての威容を取り戻すにつれ、その姿を絵にとどめようと、京都の中心部から郊外を描く「洛中洛外図」が次々制作されるようになる。時代は殺し合いに明け暮れる「憂き世」から、泰平の「浮き世」へ。国内外から集まった珍しい商品を売り買いする商人たち、寺社へ参詣する人々、遊郭を彩る女性たちに、大路を行く貴人の列――。都市のにぎわいを演出するために描かれた、身分もなりわいもさまざまな人々の群像が、それぞれ画題ごとに独立していくに伴って、いわゆる「浮世絵」が成立する。なかでも美人画は、江戸時代を通じて、役者絵とともに浮世絵の2大ジャンルの一角を占め続けるのである。

 浮世絵の美人画の嚆矢(こうし) 、また代名詞ともなっている肉筆浮世絵《見返り美人》を描いた、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)と同時代に活躍したライバル絵師が、杉村治兵衛だ。複数枚の組物ではなく、1枚で完結する一枚摺(いちまいずり)の浮世絵を創始したのは、この治兵衛だとされる。安土桃山時代には垂れ髪が主流だったが、江戸時代に入るとまず髷(まげ)、続いて前髪や髱(たぼ)に技巧を凝らした髪形が発達。この時期に髱の長さが伸び、鶺鴒(せきれい)の長い尾を模した、鶺鴒髱が考案された。着物に華美を求める傾向も続いていた。寛文文様が肩から裾へ大胆な文様をほどこしたのに対して、友禅染の技法が発展すると、文様を繰り返すだけでなく、絵画的な図様を小袖に直接描くことが流行。本作で治兵衛は、左袖には柳と御簾(みす)が下がる館を背景に、高貴な女性を背負う男性を描いて『伊勢物語』の「芥川」を、右袖にはたいまつを掲げ持つ武士を描いて「武蔵野」をそれぞれ意匠化し、衿には杉と村の隠し落款を入れ、凝りに凝った衣装の美人を描いた。

文=橋本麻里

 

はしもと・まり 日本美術を主な領域とするライター・エディター。明治学院大学・立教大学非常勤講師、高校美術教科書の編集・執筆を行なう。近著に『驚くべき日本美術』(山下裕二さんとの共著、集英社インターナショナル)、『京都で日本美術をみる 京都国立博物館』(集英社クリエイティブ)など著書多数。

千葉市美術館開館20周年記念 「初期浮世絵展版の力・筆の力」

 

会場/千葉市美術館(千葉県千葉市中央区中央3-10-8

会期/2016年1月9日~2月28

開館時間/10001800 金・土は10002000

(入場は閉館の30分前まで)

休館日/2月1日(月)、2月15日(月)

入場料/一般1200

問い合わせ先/☎043-221-2311

http://www.ccma-net.jp/

杉村治兵衛、大々判墨摺筆彩 貞享期(1684188)シカゴ美術館蔵

Photography ©The Art Institute of Chicago