福徳を授ける美神として知られるインド神話の女神、ラクシュミーが仏教に取り込まれた「吉祥天」は、やはりその出自にふさわしく、『源氏物語』や『宇津保物語』で、美女の典型として語られてきた。その姿を具体的な像とするにあたっても、当然美女――ただし作当時の基準による――をモデルに絵画や彫刻に表されてきた。
8世紀後半、東大寺大仏の開眼供養のころにつくられたと推測される《吉祥天女像》は、当時の日本の、中国への憧れを象徴するかのように、唐の宮廷に仕える宮女のような格式あるファッションで、麗しい天女の姿を描いている。
豊かな髪は頭上で髷(まげ)に結い、花かんざしの歩揺(ほよう)が揺れるさまは、「雲鬢花顔金(うんびんかがんきん)歩揺(美女の髪に挿されたかんざしの飾りが揺れる)」という、楊貴妃の美しさを讃(たた)えた『長恨歌』の一節を思わせる。
柳の葉のように弧を描く眉に、涼しげな目元、鮮やかな朱を刷いた、蠱惑(こわく)的な唇。その豊満な体にまとうのは、長い袂(たもと)を持つ上衣に、裳(も<スカート>)、さらにカーディガンのような衫(さん)を羽織り、披帛(ひはく)というストールをかけ、膝まで覆う蔽膝(へいしつ<前掛け>)からは多くの鰭(ひれ)がなびいている。幾重にもなる薄もの、白、緑、薄紅、朱、金などとりどりの色彩、裳のストライプ、上衣の花文、蔽膝の菱形(ひしがた)の花文などの文様に彩られた姿は、描かれた当時どれほど鮮やかな美しさで、人々のため息を誘ったことだろう。
しかし本作が世俗の美人図でないことは、左手に捧げた赤い宝珠、右手を臥(ふ)せる形で示す(恐らくは)与願印、その背後にうっすらと輝く光背(光の輪)を伴っていることからわかるだろう。人々を救済へ導く厳しさというより、惜しみなく福徳を与えようとする天女の慈愛を感じさせる、奈良時代の数少ない貴重な絵画作品なのだ。
文=橋本麻里
はしもと・まり
日本美術を主な領域とするライター、エディター。明治学院大学・立教大学非常勤講師、高校美術教科書の編集・執筆を行なう。近著に『京都で日本美術をみる 京都国立博物館』(集英社クリエイティブ)ほか、『変り兜 戦国のCOOL DESIGN』(新潮社)など著書多数。