着物を着ること自体が日常茶飯事でなくなってから幾星霜。それだけに着る方も、約束事やら何やらと肩に力が入る。だが古い日本の絵の中には、いま街で見かけるものとはまったく違う着物や帯を身につけた人々が、この上なく自由でおしゃれな着こなしで闊(かっ)歩ぽしている。
ちょうどこの秋、日本の東西を代表する博物館で、国宝重文めじろ押しの大型展が、相次いで開催される。「見る着物」にご縁のなかった方にこそ足を運んでいただきたい、質量ともに最高レベルの展覧会だ。それぞれの展覧会から1点ずつ、着物美女が登場する作品をご紹介しよう。
東の代表は東京国立博物館「日本国宝展」に出展される、狩野秀頼《観楓図屏風》。安土桃山時代に活躍した狩野永徳の伯父、秀頼が描いたもので、京都・神護寺にほど近い高雄山中で、紅葉狩りを楽しむ人々の姿が。屏風の左端は鼓を打ち、舞を楽しむ男性グループがおり、右端には「女子会」のグループが陣取る。女性たちが皆、桂包(かつらづつ)み(桂巻とも)と呼ばれる白い布で頭を包んでいることから、庶民(とはいえそこそこ裕福な)だとわかる。座り方は正座ではなく胡あぐら座。片膝を立てて座っている女性もいるが、いずれも決してお行儀が悪いわけではなく、古い時代にはごく当たり前の座法だった。笠(かさ)をかぶり、赤子に乳をやる女性がまとうのは、縫い箔(ぬいはく)と辻ヶ花染めをほどこした片身替わりの小袖。締めた幅5㎝ほどの細帯は、刺繍や摺り箔(すりはく)など加飾をほどこした、ぜいたくなもののようだ。その装いから、秋の一日を紅葉の名所で過ごそうという、浮き立つ思いが伝わってくる。
西の代表、京都国立博物館の「京へのいざない」展に出展されるのは、《阿国歌舞伎図屏風》である。華やかな舞台の上で一身に注目を集めているのは、出雲の巫女(みこ)・阿国。1603年、京都・北野社(現・北野天満宮)の能舞台を代用して歌舞伎踊りをはじめた、歌舞伎の祖とされる女性だ。この年、関ヶ原の戦いを経て徳川家康が江戸に幕府を開いたものの、まだ世には安土桃山時代の熱が残る。阿国は髷(まげ)を結って男装し、刀を肩にかけた歌舞伎者が、茶屋の女と戯れるエロティックな踊りで熱狂的な人気を博した。男性だけが舞台に上がり、女形が女性役を務める現代の歌舞伎と、ちょうど正反対のところも面白い。そしてそれまで垂れ髪が一般的だった女性が髷を結う習慣は、阿国のタブー破りの「男装」からはじまり、以後江戸時代を通じて、さまざまな結髪のバリエーションが生み出されていった。
文=橋本麻里
はしもと・まり 日本美術を主な領域とするライター、エディター。明治学院大学・立教大学非常勤講師、高校美術教科書の編集・執筆を行う。著書に『変り兜 戦国のCOOL DESIGN』(新潮社)ほか。今秋、京都国立博物館のガイド本を刊行予定。