紬(つむぎ)に誘われ「武相荘」へ。 白洲正子に憧れて
晴れ着よりも、紬や絣(かすり)といったふだん着を好んだという白洲正子。銀座の染織工芸店「こうげい」を経営し、多くの作家たちと親交を深めて自らの美意識を形にしてきた。
その着物に会いたくて、山内マリコさんが「武相荘」へ。そこで目にした紬や絣は、思いの外に……。
武相荘は、100年前にタイムスリップしたようにそこに在った
入り口の門の脇に、どっしりした古い臼が置かれている。そこになんともおおらかな文字で「〒 しんぶん」と書かれた板。郵便物等はここに入れてくださいという意図が、素っ気なくもユーモラスに伝わってくるこの板きれに、ひと目でノックアウトされてしまった。
武相荘に行ってみたいと、ずっと思っていた。白洲正子と次郎が、昭和18年から終生暮らした茅葺(かやぶき)屋根の農家。当時は鶴川村といわれた場所だけあって、電車を降りると都心とは空気が違う。そして武相荘は、100年前にタイムスリップしたようにそこに在った。
明治初期の養蚕農家だったという母屋は、住人となった夫婦の手によってあちこち丹念に手が加えられているのがよくわかるけれど、その加え方が半端ではない。
ミュージアムとして公開されている母屋に履き物を脱いであがると……(本文より抜粋)
紬を主とした店「こうげい」で築かれた正子と作り手の絆
着物が展示されているのは、次郎と正子が寝室として使用していた部屋。正面の白い着物は正子愛用の「梅二月」。柳 悦博が織った吉野格子(ごうし)の生地に染色家の古澤万千子が描いたもの。
訪れた人、文=山内マリコ(作家)
撮影=久富健太郎 スタイリング、着つけ=秋月洋子